プリンスホテル
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株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド
SEIBU PRINCE HOTELS WORLDWIDE INC.
本社が入居するダイヤゲート池袋
種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地 日本
171-0022
東京都豊島区南池袋一丁目16番15号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分36.2秒 東経139度42分39.9秒 / 北緯35.726722度 東経139.711083度 / 35.726722; 139.711083座標: 北緯35度43分36.2秒 東経139度42分39.9秒 / 北緯35.726722度 東経139.711083度 / 35.726722; 139.711083
本店所在地171-0022
東京都豊島区南池袋一丁目16番15号
北緯35度43分36.2秒 東経139度42分39.9秒 / 北緯35.726722度 東経139.711083度 / 35.726722; 139.711083
設立2021年(令和3年)12月13日
業種サービス業
法人番号3013301048431
事業内容ホテル、ゴルフ場、スキー場などの経営
代表者小山正彦代表取締役社長
資本金1億円(2022年3月31日現在)
売上高1,647億6,100万円
(2015年3月31日時点)
営業利益131億1,800万円
(2015年3月31日時点)
純利益147億1,600万円
(2015年3月31日時点)
純資産1,504億500万円
(2015年3月31日時点)
総資産5,900億5,900万円
(2015年3月31日時点)
従業員数7,928名(2019年3月31日現在)
決算期3月31日
主要株主西武ホールディングス 100%
関係する人物堤康次郎
堤義明(元社長)
渡辺幸弘(元社長)
小林正則(元社長)
赤坂茂好(元社長)
外部リンクhttps://www.princehotels.co.jp/
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プリンスホテルは、西武ホールディングス子会社のホテル・レジャー事業会社である株式会社西武・プリンスホテルズワールドワイド(: Seibu Prince Hotels Worldwide, Inc.)が運営する日本最大のホテルブランドである。

西武グループに属し、西武鉄道とともにグループの中核的企業である。国内のホテル・レジャー業界で最大の規模を誇る。東京都心部を中心としたシティホテルやスキー場ゴルフ場などのレジャー施設、それに併設されたリゾートホテルなどを運営している[1]
概要・歴史

西武グループによるホテル・リゾート事業は、堤康次郎が創業した不動産会社の箱根土地(後のコクド、2006年2月解散、旧プリンスホテルに合併)が主導して計画・立案した箱根軽井沢などへの観光地への進出を図ったのが源流である。社名は、太平洋戦争敗戦に伴い行われた皇籍離脱後、生活に困窮した旧宮家の土地を購入し、ホテルを開業した事に由来し、旧宮家をグループで雇用することにより、生活の安定に大きく寄与した。長野県軽井沢町千ヶ滝地区にあった皇族・朝香宮家別邸を改装、1947年にホテルとしてオープンした際、「プリンス・ホテル」と命名したのを起源として(千ヶ滝で後述)、「晴山ホテル」(旧根津嘉一郎別荘。現在の軽井沢プリンスホテルウエスト)がオープンしたのが1950年、その3年後に「品川プリンスホテル」(旧竹田宮邸。現在の高輪プリンスホテル貴賓館)がオープンし、その後続々と開業していった[2]。そういった経緯から東京都港区高輪芝公園などの一等地に多くの不動産・ホテルを所有する。品川駅前に位置する品川プリンスホテル(港区高輪)はシネマコンプレックス水族館などの施設を併設し[3]、客室数で日本一を誇る巨大シティホテルである[4]

当初は西武百貨店(旧セゾングループ)と近い関係で、堤康次郎の次男・堤清二がプリンスホテルを含むホテル・リゾート事業に関わっていた[5]。国土計画・西武鉄道の創業者である堤康次郎が1964年に死去し、清二が西武百貨店の、三男・堤義明が国土計画・西武鉄道の後継者の座に就くと、清二から義明にホテル・レジャー事業の実権が移る。

西武企業グループが堤義明が率いる西武鉄道グループと、堤清二が率いる西武流通グループ(後のセゾングループ)の2つに分立すると、ホテル・レジャー事業は西武鉄道を中核とする鉄道グループに属することになり、1971年に西武鉄道のホテル部門を独立させる形で「(初代)株式会社プリンスホテル」を設立。康次郎の五男で、西武百貨店寄りの要職に就いていた堤猶二が社長に就任する(後にセゾン下のIHGの社長・東京テアトル社長を歴任)。同氏によって「プリンスホテルスクール」が設立され、各種学校としてホテリエの育成を手がけ始めるが、1976年に笹川良一率いる財団法人日本船舶振興会が支援した「財団法人日本ホテル教育センター」に経営が譲渡され、「専門学校 日本ホテルスクール」として継承されている。ホテル会社によって設立されたホテル養成学校は、プリンスホテルスクールが日本国内では嚆矢であり、その設立には一定の評価がなされている。

1980年代からは大規模なスキーリゾートシティホテル首都圏信越地方東北地方北海道を中心に数多く進出させる。時期を前後してアメリカ合衆国ハワイアラスカグアム)やカナダ東南アジア諸国、台湾オーストラリアなどの海外リゾート企業を買収・提携のうえで進出を行い、バブル景気の中で都心の一等地を多く保有していたプリンスホテルの母体であったコクドは日本一のホテル・レジャー事業を運営する企業へ成長した。コクドの下で行われてきた事業拡大に合わせて資金調達に用いた方法は、膨大な含み益を持つ東京都心の品川高輪赤坂といった東京都港区の超一等地の土地を担保に、銀行などから巨額の融資を得て土地を取得。その後、ホテルやレジャー施設を建設して土地の付加価値を高め、値上がりした地価上昇分で更に銀行融資を受けるものであった。苗場プリンスホテルや「赤プリ」の愛称で親しまれた旧赤坂プリンスホテルはバブル期のシンボル的なホテルであった[6]。それにより西武グループオーナー・代表であった堤義明はアメリカの経済誌フォーブスが発表する世界長者番付で一時は総資産額で世界一となったこともある。

日本の経済がバブル景気に突入した1980年代末期から、加速した地価上昇により保有する土地の含み益が大幅に増加すると、さらに積極的にホテル・リゾート事業の拡大を推し進めることになった。1990年代バブル崩壊後は、地価上昇を前提にした事業計画は軌道修正されたが、平成不況期にあっても、プリンスホテル事業はリストラや事業再編されず、2005年の「東京プリンスホテルパークタワー」の開業まで続けられていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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