プリンストンの戦い
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プリンストンの戦い

プリンストンでのマーサー将軍の戦死
ジョン・トランブル
戦争:アメリカ独立戦争
年月日:1777年1月3日
場所:プリンストン
結果:大陸軍の勝利[1]
交戦勢力
アメリカ合衆国大陸軍 グレートブリテン王国
指導者・指揮官
ジョージ・ワシントン
ヒュー・マーサー
ジョン・ハスレット, 
ナサニエル・グリーン
サミュエル・ニコラス チャールズ・コーンウォリス
チャールズ・モーフード
戦力
4,500
大砲35門[2]1,200
大砲6?9門[2]
損害
死者25-44、傷者40[3][4]死者18-100、傷者58-70、捕虜194-280[5][6][7]
アメリカ独立戦争
大区分

西部戦線 - 南部戦線 - ボストン方面作戦 - カナダ侵攻作戦 - ニューヨーク・ニュージャージー方面作戦 - サラトガ方面作戦 - フィラデルフィア方面作戦
小区分

レキシントン・コンコード - ボストン - バンカーヒル - グレートブリッジ - ロングアイランド - ホワイト・プレインズ - トレントン - プリンストン - オリスカニー - ベニントン - ブランディワイン - サラトガ - ジャーマンタウン - ホワイトマーシュ - モンマス - ジブラルタル - ロードアイランド - ワックスホー - スプリングフィールド - キャムデン - キングスマウンテン - カウペンス - ギルフォード - ホブカークスヒル - グリーンスプリング - ユートースプリングス - ヨークタウン - ブルーリックス

海戦

アメリカ独立戦争の海軍作戦行動 - バルカー島 - 第1次ウェサン島 - サン・ビセンテ岬 - マルティニーク島 - ポルト・プラヤ - ドッガー・バンク - チェサピーク湾 - 第2次ウェサン島 - セインツ


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プリンストンの戦い(プリンストンのたたかい、: Battle of Princeton )は、アメリカ独立戦争中の1777年1月3日に、ニュージャージープリンストン近くで、大陸軍グレートブリテン王国(イギリス)との間に行われた戦闘である。トレントンの戦いでの勝利に続いて、アッサンピンク・クリーク、プリンストンとわずか10日の間の3度の勝利は、意気消沈していた大陸軍の息を吹き返させた。

1777年1月2日、大陸軍の総司令官ジョージ・ワシントントレントンのアッサンピンク・クリークの戦いでイギリス軍を撃退した。その夜、ワシントンは陣地を引き払って、チャールズ・コーンウォリス将軍が指揮するイギリス軍を回りこみ、プリンストンを守備するイギリス部隊の攻撃に向かった。大陸軍のヒュー・マーサー准将の部隊がイギリス軍チャールズ・モーフード中佐の指揮する2個連隊と衝突した。マーサーとその部隊が圧倒されたので、ワシントンはジョン・キャドワラダー将軍指揮する民兵隊を救援に派遣した。この民兵隊はマーサー部隊が逃亡するのを見て、自分達も逃げ始めた。ワシントンは援軍と共に馬で乗りつけ、逃げる民兵達を鼓舞した。ワシントンは続いてモーフード隊に対する攻撃を率い、敵を駆逐した。モーフードが撤退命令を出し、兵士の大半はトレントンにいるコーンウォリス隊の方向に逃げ出した。

プリンストンの町では、ジョン・サリバン将軍がナッソー・ホールに逃げ込んでいたイギリス兵を降伏させ、戦闘が終わった。この戦闘後、ワシントンはその部隊をニュージャージーのモリスタウンに移動させた。イギリス軍は10日間の間に3度の敗北を喫し、ニュージャージー南部を放棄した。大陸軍は兵士の士気が上がり、より多くの者が大陸軍に入隊するようになった。この戦闘は冬季に行われたワシントンのニュージャージー方面作戦では最後の主要戦闘になった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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