プリンスィズ諸島
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プリンスィズ諸島現地名: Adalar
ビュユック島フェリーターミナル

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地理
場所マルマラ海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度52分 東経29度06分 / 北緯40.867度 東経29.100度 / 40.867; 29.100座標: 北緯40度52分 東経29度06分 / 北緯40.867度 東経29.100度 / 40.867; 29.100
面積15.85 km2 (6.12 sq mi)
行政
トルコ
イスタンブール県
アダラル郡
人口統計
人口16,119
人口密度1,016.97 /km2 (2633.94 /sq mi)
追加情報
公式サイト ⇒www.adalar.bel.tr
www.adalar.gov.tr
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プリンスィズ諸島(英語: Princes' Islands、トルコ語: Prens Adalar?、ギリシア語: Πριγκηπ?ννησα)は、トルコ北西部、マルマラ海の北東に浮かぶ9つの島々からなる島嶼群。イスタンブール市街地の南東約20kmの海域にあり、群島全体でイスタンブール県アダラル郡(諸島郡、区[1]とも訳す)を構成する。トルコでは単にアダラル(Adalar;「諸島」)、もしくはイスタンブール諸島(?stanbul Adalar?)やクズル諸島(K?z?l Adalar)などとも呼ばれる。ヨーロッパ世界で一般的な「王子の島々」の呼称はギリシャ語名に由来し、ビザンツ帝国時代に島々が王族の流刑地だったことにちなむ。

トルコ近代化以来の歴史的保養地であり、観光業のほか小規模な農牧漁業が営まれている[2]。人口は2018年現在、16,119人が登録されている[3]が、観光業の特性上、季節的な人口変動が著しい。
地理

諸島は以下の9つの島から構成される。クズル諸島の地図

島名現地表記面積(km2)人口(2018年)[3]座標
ビュユック島(英語版)Buyukada5.468,371[注釈 1]北緯40度51分28秒 東経29度07分12秒 / 北緯40.85778度 東経29.12000度 / 40.85778; 29.12000
ヘイベリ島(英語版)Heybeliada2.44,524北緯40度52分40秒 東経29度05分30秒 / 北緯40.87778度 東経29.09167度 / 40.87778; 29.09167
ブルガズ島(英語版)Burgazada1.51,449北緯40度52分47秒 東経29度03分42秒 / 北緯40.87972度 東経29.06167度 / 40.87972; 29.06167
クナル島(英語版)K?nal?ada1.31,775北緯40度54分47秒 東経29度03分00秒 / 北緯40.91306度 東経29.05000度 / 40.91306; 29.05000
セデフ島(英語版)Sedef Adas?0.157- [注釈 2]北緯40度51分00秒 東経29度08分40秒 / 北緯40.85000度 東経29.14444度 / 40.85000; 29.14444
ヤッス島(英語版)Yass?ada0.05-北緯40度51分52秒 東経28度59分36秒 / 北緯40.86444度 東経28.99333度 / 40.86444; 28.99333
スィヴリ島(英語版)Sivriada0.05-北緯40度52分31秒 東経28度58分17秒 / 北緯40.87528度 東経28.97139度 / 40.87528; 28.97139
カシュク島(英語版)Ka??k Adas?0.006-北緯40度53分03秒 東経29度04分38秒 / 北緯40.88417度 東経29.07722度 / 40.88417; 29.07722
タヴシャン島(英語版)Tav?an Adas?0.004-北緯40度49分10秒 東経29度06分45秒 / 北緯40.81944度 東経29.11250度 / 40.81944; 29.11250

9つの島々のうち、クナル島・ブルガズ島・ヘイベリ島・ビュユック島・セデフ島の5島は上陸可能な有人島である。郡都はビュユック島に置かれている。ヤッスィ島・スィヴリ島・タヴシャン島の3島には住民がなく、またカシュク島は私有地であり外部者は入島できない。農牧漁業と観光業が産業基盤であるが、元々別荘地であったため大規模な農地開拓などは行われておらず、小規模な菜園や花園が主体である。歴史ある別荘地として美しい家並み・並木道を残し、松林の沿岸部が遊山客や海水浴客を集める[2]

渡島手段は海路に限られる。スィルケジ(英語版)やカドゥキョイ港、アダラル郡の対岸に位置するボスタンジュ(英語版)港などから渡航できる[4]。環境保全のため、諸島内では自動車の利用が禁じられており、交通手段は馬車が中心である[5]。ビュユック島などいくつかの島々には海上バスも運航している[6]
歴史

古くはヘイベリ島の銅鉱山が知られていた。ビザンツ帝国の時代には島々に多くの修道院が設立され、比較的孤立した地勢と首都コンスタンティノープルからの近さから、島々に作られた修道院が幽閉所として利用され、追放された王族や名士の流刑地となった。ビザンツ時代の遺構としては、842年にテオフィロス帝の皇妃テオドラ(英語版)が建てたと伝えられるブルガズ島の聖ヨハネ教会や、14世紀に遡るヘイベリ島の聖母マリア教会がある[5]

1453年、オスマン帝国スルタンメフメト2世がコンスタンティノープル攻略に先立ってこの島々を征服した。地中海性気候の土地に見られる赤い表土にちなんでクズル・アダラル(赤い島々)と呼ばれるようになった。オスマン朝では島々は大部分が放置され、ギリシア人アルメニア人ユダヤ人などの逃避地となった。19世紀に入るとタンズィマートを機に別荘地としての開発が始まり、フランス人、のちトルコ人の富裕層が進出した。自治体が置かれたのは1861年のことである[2]
各島の概要
ビュユック島ビュユック島の街路

名称は「大きな島」の意。本土との最短距離は2?3km。ローマ帝国からビザンツ帝国の時代には教会や修道院が多数建てられ、貴族階級の流刑地として利用された。ギリシャ語ではプリンキポ島(Πρ?γκηπο;「王子の島」)の名で呼ばれ、ギリシャ系住民が農漁業を営む島であったが、オスマン帝国時代、19世紀半ばにイスタンブールとの間に汽船が開通して以降、別荘地として開発された。1920年代にはベラルーシからの移民が一部入植した。1929年にソ連を追放されたトロツキーが数年間滞在し、『ロシア革命史』の執筆活動を行ったことでも知られる[4]

集落は島の北部に集中しており、役所も北東部のマデン地区にある。豊かな自然のほか、ビザンツ帝国時代の遺跡見学や海水浴・保養を目的とした観光客が国内外から訪れ、夏場の人口は冬場の10倍になる[4]。1964年まで営まれていたプリンキポ島ギリシャ正教会孤児院(英語版)はヨーロッパ最大、世界でも東大寺大仏殿に次ぐ規模の木造建築として知られる[7]
ヘイベリ島ハルキ神学校

諸島の中央に位置する、東西2.7km、南北1.2kmの2番目に大きな島。標高は136m。ヘイベリは「サドルバック(鞍のようにくぼんだ動物の背)」を意味する。ギリシャ語の呼称はハルキ島(Χ?λκη)で、これは「銅」を意味する χαλκ?? に因んでいる。古典古代には銅鉱山があったことで知られていた。

島の北部の丘の上、ビザンツ帝国時代の聖三位一体修道院の跡地には、東方正教会コンスタンティノープル総主教区における重要な神学校であったハルキ神学校(英語版)がある。この学校は1844年10月1日に設立され、トルコ議会が私立の高等教育機関を禁止する法律を制定した1971年まで存続した。学校の敷地は修道院が維持しており、学校の再開に向けた国際的な取り組みがなされている。

トルコ海軍の海軍学校が置かれている。海軍の小型艦、TCGヘイベリアダの艦名はこの島に由来している[8]
ブルガズ島ブルガズ島フェリーターミナル


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