この項目では、アイザック・ニュートンの著作について説明しています。アルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルの著作については「プリンキピア・マテマティカ」をご覧ください。
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『自然哲学の数学的諸原理』
Philosophia Naturalis Principia Mathematica
初版のとびら
著者アイザック・ニュートン
訳者岡邦雄・河辺六男
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ニュートン所有のプリンキピアの初版。ニュートンの手書きで文字が書き込んである。第二版で修正・加筆する箇所の指示である。
『自然哲学の数学的諸原理』(しぜんてつがくのすうがくてきしょげんり、羅: Philosophia Naturalis Principia Mathematica)は、アイザック・ニュートンの著書で、ニュートン力学体系の解説書である。1687年7月5日刊、全3巻。古典力学の基礎を築いた画期的なもので、近代科学における最も重要な著作の1つ。運動の法則を数学的に論じ、天体の運動や万有引力の法則を扱っている。Principia という略称でもよく知られている。日本語では『自然哲学の数学的原理』、『プリンキピア』、あるいは『プリンシピア』とも表記される(岡邦雄訳、春秋社、1930年や、中野猿人訳、講談社、1977年等)。 この本が出版されたきっかけ・動機としてはエドモンド・ハレーとのやりとりがあるという。1684年の夏、ハレーがケンブリッジ大学を訪問した折に「惑星が距離の平方に反比例する力で太陽に引き寄せられると仮定した場合、惑星が描く曲線はどのようなものであろうか?」とニュートンに質問したことだという。この質問に対してニュートンは「楕円だろう」と即答した。ニュートンはそれ以前に自分自身でそうした計算を試みたことがあり、すでに答えを得ていたのだという。 そしてニュートンは1684年11月頃、ハレーに「回転している物体の運動について」という論文を送付した。これを読んだハレーがニュートンにこの論文を含めたニュートンの力学研究の成果を出版することを薦め、同論文はプリンキピア第一巻の骨子となり、1687年の夏頃、500ページ余りの初版が出版されることとなった。なお、ニュートンにはキリスト教的で神による秩序立てられた世界観を示そうとする神学的な動機があったことも明らかになっている。いずれにせよ、ニュートンのこの書物への情熱、精進は凄まじいもので、18か月に及ぶ執筆期間中は食事も忘れるほどの極度の集中ぶりだったという[1]。 1687年に初版が出版され、1713年には第二版が、1726年にヘンリー・ペンバートン
出版の経緯
内容ページの例(1726年版)
原文はラテン語で書かれている。全3巻のタイトルおよび要点は以下のとおり。
第1巻 物体の運動について
真空中の物体の運動法則
第2巻 物体の運動について
抵抗のある媒質の中での物体の運動法則
第3巻 世界の体系について
現実の宇宙の数学的なしくみを扱っており、地球上の物体であれ、太陽のまわりをまわる惑星であれ、彗星であれ、その位置が、万有引力の数学的法則によって統一的に説明できることを示している。
全巻を通して、数学的な道具としては原則的にユークリッドの『原論』を用いている。さらに展開の形式も『原論』を踏襲しており、公理論的な形式を採用している。最初に公理を示し、それを使って証明するというやり方で進んでいく方式である。
当時、研究が進み始めていた微分・積分を用いず、極力ユークリッド幾何学のみを用いて解説しようとしたため、大部の内容となっている。これは、執筆当時、微分や積分の内容(絶対時間)や表記法をめぐってプロイセンのゴットフリート・ライプニッツらと争っていたためと推測されている。時間と空間の捉え方も2人の見解が大幅に相違しており、互いに衝突していた(空間の記事も参照のこと)。ただし、一部ではあるが代数解析を用いている箇所がある。「ニュートン力学」も参照
出版時の逸話
当初、王立協会は同書の出版について資金提供などを行うと確約していたが、編纂が終了し、いよいよ出版という段になって王立協会が深刻な予算難に陥り(全くといっていいほど売れなかった書籍のために費やされてしまっていたといわれる)、王立協会からの資金提供を受けられなくなってしまったことから、已む無くエドモンド・ハレーが出版費用を工面した上での自費出版にせざるを得なかった。