プリツカー賞
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「プリツカー文学賞(英語版)」とは異なります。

プリツカー賞 (The Pritzker Architecture Prize) は、アメリカホテルチェーン「ハイアットホテルアンドリゾーツ」のオーナーであるプリツカー一族が運営するハイアット財団 (The Hyatt Foundation) から建築家に対して授与される賞である。

王立英国建築家協会が授与するRIBAゴールドメダルやアメリカ建築家協会が授与するAIAゴールドメダルに比べて歴史は浅いが、1988年に『ニューヨーク・タイムズ』の記事で「建築家にとってこの賞は、科学者や作家たちにとってのノーベル賞のようなものだ」[1]と書かれて以降、「建築界のノーベル賞」と紹介されることもある[2][3]

賞の名称は正式には「プリツカー建築賞」となるが、単に「プリツカー賞」(Pritzker Prize)と呼ばれることが多い。他にプリツカーの名を冠する賞として、プリツカー文学賞(英語版)がある。
発音と表記

Pritzker の英語発音は/?pr?tsk?r/[4]で、「プリッツカー」または「プリツカー」に近い[5][6][7][8]。このことから、通常「プリツカー賞」と表記される。日本語の文脈では、しばしば誤って「プリッカー賞」と表記されることがある[9][10]
概要

1979年にアメリカ人実業家でハイアットの事実上の創業者であるジェイ・プリツカーと妻のシンディによって設立された。「建築を通じて人類や環境に一貫した意義深い貢献をしてきた」存命の建築家を対象とする。国籍・人種・思想・信条を問わず、原則として1年に1人表彰している。副賞として10万ドルとブロンズのメダルが授与される。メダルの意匠はルイス・サリヴァンの作品を模したもので、ウィトルウィウスの言葉が刻まれている(1986年以前はヘンリー・ムーアによる彫像であった)。受賞者を国籍別でみると、日本人9人、アメリカ8人(1人は二重国籍)、イギリス人4人、フランス3人と、日本人の受賞が最多となっている。
歴代受賞者

年受賞者名国籍
1979年フィリップ・ジョンソン アメリカ合衆国
1980年ルイス・バラガン メキシコ
1981年ジェームス・スターリング イギリス
1982年ケヴィン・ローチ アメリカ合衆国
1983年イオ・ミン・ペイ
1984年リチャード・マイヤー
1985年ハンス・ホライン オーストリア
1986年ゴットフリート・ベーム 西ドイツ
1987年丹下健三 日本
1988年ゴードン・バンシャフト アメリカ合衆国
オスカー・ニーマイヤー ブラジル
1989年フランク・ゲーリー カナダ
アメリカ合衆国
1990年アルド・ロッシ イタリア
1991年ロバート・ヴェンチューリ アメリカ合衆国
1992年アルヴァロ・シザ ポルトガル
1993年槇文彦 日本
1994年クリスチャン・ド・ポルザンパルク フランス
1995年安藤忠雄 日本
1996年ホセ・ラファエル・モネオ スペイン
1997年スヴェレ・フェーン ノルウェー
1998年レンゾ・ピアノ イタリア
1999年ノーマン・フォスター イギリス
2000年レム・コールハース オランダ
2001年ヘルツォーク&ド・ムーロン スイス
2002年グレン・マーカット オーストラリア
2003年ヨーン・ウツソン デンマーク
2004年ザハ・ハディッド イギリス
2005年トム・メイン アメリカ合衆国
2006年パウロ・メンデス・ダ・ロシャ ブラジル
2007年リチャード・ロジャース イギリス


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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