プラーサートトーン
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プラーサートトーン
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サンペット5世
(???????????????????? ?)

在位1629年 - 1656年8月7日
全名プラーサートトーン
別名 プラモン・シー
王朝アユタヤ王朝24代目
家系プラーサートトーン王家
出生1600年

死亡1656年8月7日

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プラーサートトーン(タイ語: ?????????, タイ語発音: [pr??.sa?t.t?????], Prasat Thong, 1600年 - 1656年8月7日)はタイアユタヤ王朝の24代目の王。ソンタム王の母の兄の子とされるが、エーカートッサロット王の隠し子であるとの説もある。
略歴

幼少の頃からソンタム王に小姓として仕えていたといわれ、16歳の時には小姓の長になっていた。18歳の時、豊作を祈る国家の儀式の場で衛兵と喧嘩になり、数人を殺傷してしまい、投獄される。(喧嘩の原因は未詳。)しかし、ナレスワンの老妃の助命嘆願により出獄。その後すぐ、ソンタム王の兄弟を殺害する計画が露見し、再び投獄される。しかし、カンボジア遠征のおり、出征する友人に頼み込んで従軍、戦功をあげてそれまでの罪を許され、宮内官となる。その後、今度は王弟シーシンの侍妾を誘惑したとされ、死刑宣告を受けるが、やはり血縁者の減刑運動によって死をまぬがれた。以降はソンタム王の信任を受け、プラヤー・シーウォーラウォンに昇進。ソンタムの死後はその遺言に従い、チェーター親王を即位させた。チェーター王が叔父のシーシン親王が王位をねらっていると聞き、シーウォーラウォンに処刑させた。その功によってチャオプラヤー・カラーホームスリヤウォンに昇進した。しかし、チェーター王が不審な動きを示したのでこれを処刑し、その後アーティッタヤウォンを即位させたが、あまりに幼く官吏らがカラーホームに王位に付くよう願ったので、王位に就いた。

この王の間、パタニ王国が謀反を起こしたので沈静しに軍を派遣したが、一方で手薄になったチエンマイビルマに取られてしまった。

内政面では、大蔵省を設置し、対外貿易政策として貴重品等は国庫に納めてから外国へ送られることになり、最大の輸出品目である米についても、王の許可を受けなければならないとし、タイの華僑に打撃を与えた。しかしその実情は王家主導の貿易業務を華僑に委託するというもので、鎖国中の日本も、中国とだけ例外的に交易していたこともあり、中国人にはプラスに働いたとする見解もある。
山田長政との関係

シーウォーラウォンは同時代にアユタヤ王朝に仕えた日本人傭兵山田長政と自身の即位をめぐって宮廷内で対立したため、これを左遷した後、密命によって毒殺したとオランダの史料は記している。更にシーウォーラウォンは反乱の恐れがあるとして日本人傭兵隊の本拠地と言えるアユタヤ日本人町を焼き払った。この事件以降、日本人勢力はアユタヤ王朝において軍事的・政治的な力を失い、二度と往時の権勢を取り戻すには至らなかった。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本では山田長政関連の小説で、この王は「オーヤー・カラホム」とし、ずるがしこい官吏として小説数本に見えている。しかしそれは、第二次大戦中に日本軍の南進政策の宣伝のため山田長政が採り上げられた、その名残をひきずった感もあり、現地のタイではプラサートトーン王が特別悪賢い王として捉えられているわけではない事に注意されたい。[要出典]
現在の評価
関連項目

シャイフ・アフマド・クーミー










タイ国王(1629-1656)
スコータイ王国

プラルアン王朝

シーインタラーティット1220-1238 / バーンムアン1238-1279 / ラームカムヘーン1279-1300 / ルータイ1279-1341 / グワナムトゥム1341-1347 / マハータンマラーチャー1世1347-1368 / マハータンマラーチャー2世1368-1399 / マハータンマラーチャー3世1399-1419 / マハータンマラーチャー4世1419-1438

アユタヤ王国

ウートン王朝

ラーマーティボーディー1世1351-1369 / ラーメースワン1369-1370
スパンナフム王朝

ボーロマラーチャーティラート1世1370-1388 / トーンラン1388
ウートン王朝(復位)

ラーメースワン(復位)1388-1395 / ラーマラーチャーティラート1395-1409
スパンナフム王朝(復位)

ナカリンタラーティラート1409-1424 / ボーロマラーチャーティラート2世1424-1448 / ボーロマトライローカナート1448-1488 / ボーロマラーチャーティラート3世1488-1491 / ラーマーティボーディー2世1491-1529 / ボーロマラーチャーティラート4世1529-1533 / ラッサダーティラートクマーン1533-1534 / チャイヤラーチャーティラート1534-1547 / ヨートファー1547-1548 / シーシン1548 / ウォーラウォンサーティラート(異議)1548 / チャクラパット1548-1569 / マヒンタラーティラート1569
スコータイ王朝

サンペット1世1569-1590 / サンペット2世1590-1605 / サンペット3世1605-1610 / サンペット4世1610-1611 / ボーロマラーチャー1世1611-1628 / ボーロマラーチャー2世1628-1629 / アーティッタヤウォン1629
プラサートトン王朝

サンペット5世1629-1656 / サンペット6世1656 / サンペット7世1656 / ラーマーティボーディー3世1656-1688
バンプルルアン王朝

ペートラーチャー1688-1703 / サンペット8世1703-1709 / サンペット9世1709-1733 / ボーロマラーチャーティラート5世1733-1758 / ボーロマラーチャーティラート6世1758 / ボーロマラーチャー3世1758-1767

トンブリー王国

トンブリー王朝

ボーロマラーチャー4世1767-1782

ラッタナーコーシン/サイアム/タイ王国

チャクリー王朝

ラーマ1世1782-1809 / ラーマ2世1809-1824 / ラーマ3世1824-1851 / ラーマ4世1851-1868 / ラーマ5世1868-1910 / ラーマ6世1910-1925 / ラーマ7世1925-1935 / ラーマ8世1935-1946 / ラーマ9世1946-2016 / ラーマ10世2016-

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