プラズマディスプレイ
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日立製作所製42型PDPTV

プラズマディスプレイ (PDP, Plasma Display Panel) は、放電による発光を利用した平面型表示素子の一種である[1]電極を表面に形成したガラス板と、電極および、微小な溝を表面に形成し、溝内に赤、緑、青の蛍光体層を形成したガラス板とを狭い間隔で対向させて貴ガスを封入し、この電極間に電圧をかけることによって、紫外線を発生させ、蛍光体を光らせて表示を行っている[1]
特徴

利点として、自発光型のディスプレイで視野角が広い[1]、比較的簡単な構造のため大型化が容易[1]、応答速度が速い、色純度がよい、という点が挙げられる。また欠点として、明るい部屋でのコントラストが低く画面が暗い、ガラスパネルの光反射、擬似輪郭が発生する、焼き付きが起きる可能性がある、ディスプレイの発熱量が多く液晶よりも電力量が高い、高精細化が困難、という点が挙げられる。詳細はプラズマテレビを参照のこと。
開発の歴史1987年に発売された東芝製ラップトップPC(PDPは松下製)

プラズマによる画像の表示に関してはハンガリーからイギリス亡命したカルマン・ティファニ(ハンガリー語版)が1936年に基本的な原理を開発し特許を取得していたが、1964年アメリカ合衆国イリノイ大学ドナルド・L・ビッツァーとH・ジーン・スロットフ(英語版)により実用的な機構が公表された。実用化当初はネオンガス放電による橙色発光によるモノクロの表示装置として、オーウェンズ・イリノイ社(1970年代初頭)、IBM社(1983年)、Photonics Imaging社や岡谷電機により商品化され、主として情報表示用ディスプレイに用いられた。

1980年代にはラップトップパソコンの表示部に用いられたことがある。これはまだ液晶ディスプレイもモノクロ表示のみで、コントラスト応答性が悪かったため、これに代わるものとして注目された。しかしその後のTFTカラー液晶の普及とともにこのような用途での利用は少なくなった。

1980年代にNHK放送技術研究所ではカラーPDPの研究開発を進め、毎年春の公開展示で展示していた。イリノイ大の方式は電極表面に誘電体を挟んだAC駆動方式であったが、NHKは電極を直接ガスに触れさせるDC駆動方式が輝度および動画性能に優れるとして採用していた。

その後の1989年に、フルカラー動画が可能なカラーPDPを富士通が開発・発表した[2]。21インチサイズで、電極構造と駆動方式を独自に改良したAC駆動方式であり、かつ高輝度なものであった。その後、日立製作所NECパイオニアなど多くの会社がAC方式で追随した。富士通が1996年に世界初となる42インチフルカラーPDP、1997年11月に民生用42型ワイドプラズマテレビを開発し、同年12月にパイオニアホームAV事業部、現:オンキヨー&パイオニア)が50型としては世界初の民生用プラズマテレビを発売し、各社とも次世代の大画面の平面テレビとして、デジタルテレビジョン放送HDTV放送に対応させようと開発競争を開始した。初期のPDPテレビは40インチ程度で市販価格100万を超える高価な製品で、各社とも「1インチ当たり1万円」を目標にコストダウンに力をいれた。
韓国メーカーとの特許紛争

PDPの特許侵害で日本企業と韓国企業とが相互に訴えるケースが多々あった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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