『プライヴェート・ダンサー』
ティナ・ターナー の スタジオ・アルバム
リリース1984年5月
録音1983年 - 1984年
ジャンルR&B、ポップス、ロック
時間44分02秒
レーベルキャピトル・レコード
プロデュースルパート・ハイン(#1, #7)
テリー・ブリテン(#2, #3, #4)
ジョン・カーター(#5, #8)
マーティン・ウェア(#6, #10)
グレッグ・ウォルシュ(#6, #10)
ジョー・サンプル(#9)
ウィルトン・フェルダー(#9)
ンドゥグ・チャンクラー(#9)
専門評論家によるレビュー
allmusic link
Love Explosion
(1979年)プライヴェート・ダンサー
(1984年)Mad Max Beyond Thunderdome
(1985年)
『プライヴェート・ダンサー』収録のシングル
「レッツ・ステイ・トゥギャザー」
リリース: 1983年11月
「ヘルプ[10]」
リリース: 1984年2月
「愛の魔力」
リリース: 1984年6月
「あなたのとりこ」
リリース: 1984年9月
「プライヴェート・ダンサー」
リリース: 1985年2月
「雨に打たれて」
リリース: 1985年3月
「私に振り向いて!」
リリース: 1985年5月
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『プライヴェート・ダンサー』(Private Dancer)は、アメリカ合衆国の歌手、ティナ・ターナーが1984年に発表したスタジオ・アルバム。5年振りのソロ・アルバムで、しばらく不遇の状態にあったティナは本作の世界的な大ヒットで再び注目を浴び、音楽評論家のアレックス・ヘンダーソンはallmusic.comにおいて「1984年当時45歳であったティナ・ターナーは、アメリカのポピュラー音楽史においても特に驚嘆すべきカムバックを果たした」と評している[11]。また、『タイム』誌が2008年に選出した「トップ10カムバック・アルバム」でも、本作がその中の一つとして挙げられている[12]。なお、日本国内においては、ブロードキャスターのピーター・バラカンが早くから高く評価している。 1976年にアイク・ターナーとティナ・ターナーが離婚してアイク&ティナ・ターナーが解散すると、ティナはソロ活動に専念するが、その後発表したソロ・アルバムやソロ・シングルはチャート・インを果たせなかった。しかし、当時キャピトル・レコードのA&Rであったジョン・カーターがティナと契約し[13]、本作のレコーディングが行なわれた。カーターが後年語ったところによると、楽曲提供者がなかなか現れず、「ティナ・ターナー!?」「どうでもいいよ」「昔そんな人いたね」などと言われ、アルバム作りは難航したという[13]。カーターは一部の曲のプロデュースも担当しており、更にアンソニー・フィリップスやハワード・ジョーンズ等との仕事で知られるルパート・ハイン[14]、クリフ・リチャードのサポート・ギタリスト等の活動で知られるテリー・ブリテン、B.E.F.やヘヴン17で活動していたマーティン・ウェア、フュージョン・ミュージシャンのジョー・サンプル等もプロデューサーとして参加した。
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