プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌス
Publius Licinius Cornelius Saloninus
ローマ皇帝
(共同皇帝)
プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌス
在位260年
出生242/3年
死去260年
父親ガッリエヌス
母親コルネリア・サロニナ(en
プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌス(ラテン語: Publius Licinius Cornelius Saloninus, 242/3年 - 260年)は、ローマ帝国皇帝ガッリエヌスの息子で、一時期だけローマ皇帝に即位(在位:260年)した人物である。 プブリウス・リキニウス・コルネリウス・サロニヌスの生誕年は242年または243年とされる。祖父はウァレリアヌス、父はガッリエヌス、母はコルネリア・サロニナ(en
略歴
ガッリエヌスは257年に死去したコルネリウスと同じように、サロニヌスをカエサルの地位に着け、ガッリエヌスの権威が尊重されていたガリア地方へと送り出した。サロニヌスは生涯をコローニア・アグリッピナ(現:ケルン)で過ごすこととなった。
260年7月(おそらく)、サロニヌスとそのプラエフェクトゥス・プラエトリオであったシルウァヌス(en)は、ゲルマニア総督ポストゥムスとの間で戦利品の分配を巡って、口論となった。サロニヌスはシルウァヌスやサロニヌスに忠誠を誓う部隊と共にコローニア・アグリッピナへ逃れたが、ポストゥムス軍に包囲された。サロニヌスに味方する軍はサロニヌスをアウグストゥスへ推挙したが、その後コローニア・アグリッピナは陥落して、捕虜となったサロニヌスとシルウァヌスは殺害された。
サロニヌスの父で、ローマ皇帝であったガッリエヌスはその処刑を止める手立てを持たなかった。サロニヌスの皇帝在位期間は約1ヶ月に過ぎなかったとされる。サロニヌスの殺害から間もなく、ポストゥムスはガリア帝国の初代皇帝を称することとなった。
表
話
編
歴
ローマ皇帝
ユリウス=クラウディウス朝
アウグストゥス前27-後14
ティベリウス14-37
カリグラ37-41
クラウディウス41-54
ネロ54-68
四皇帝の年
ガルバ68-69
オト69
ウィテッリウス69
フラウィウス朝
ウェスパシアヌス69-79
ティトゥス79-81
ドミティアヌス81-96
ネルウァ=アントニヌス朝
ネルウァ96-98
トラヤヌス98-117
ハドリアヌス117-138
アントニヌス・ピウス138-161
マルクス・アウレリウス161-180
ルキウス・ウェルス(共同皇帝)161-169
コンモドゥス180-192
五皇帝の年
ペルティナクス193
ディディウス・ユリアヌス193
ペスケンニウス・ニゲル(僭称)193
クロディウス・アルビヌス(僭称)193
セウェルス朝
セプティミウス・セウェルス193-211
カラカラ211-217
ゲタ(共同皇帝)209-211
マクリヌス217-218
ディアドゥメニアヌス(共同皇帝)217-218
ヘリオガバルス218-222
アレクサンデル・セウェルス222-235
3世紀の危機
軍人皇帝
マクシミヌス・トラクス235-238
マクシムス(共同皇帝)236-238
ゴルディアヌス1世238
ゴルディアヌス2世(共同皇帝)238
プピエヌス・マクシムス238
バルビヌス238
ゴルディアヌス3世238-244
ピリップス・アラブス244-249
ピリップス2世(共同皇帝)244-249
デキウス249-251
ヘレンニウス・エトルスクス(共同皇帝)249-251
ホスティリアヌス251
トレボニアヌス・ガッルス251-253
ウォルシアヌス(共同皇帝)251-253
アエミリアヌス253
ウァレリアヌス253-260
ガッリエヌス253-268
サロニヌス(共同皇帝)260
クラウディウス・ゴティクス268-270
クィンティッルス270
アウレリアヌス270-275
タキトゥス275-276
フロリアヌス276
プロブス276-282
カルス282-283
カリヌス283-285
ヌメリアヌス(共同皇帝)283-284
ガリア帝国
ポストゥムス260-269