プブリウス・アエリウス・パエトゥス
P. Aelius Q.f. P.n. Paetus
出生不明
死没紀元前174年
出身階級プレブス
氏族アエリウス氏族
プブリウス・アエリウス・パエトゥス(ラテン語: Publius Aelius Paetus、- 紀元前174年)は紀元前3世紀後期から紀元前2世紀前半の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前201年に執政官(コンスル)、紀元前199年に監察官(ケンソル)を務めた。 パエトゥスはプレブス(平民)であるアエリウス氏族
目次
1 出自
2 経歴
3 脚注
4 参考資料
4.1 古代の資料
4.2 研究書
5 関連項目
出自
紀元前167年の執政官クィントゥス・アエリウス・パエトゥスは息子である。 パエトゥスが記録上、最初に現れるのは紀元前208年のことである[5]。マルクス・クラウディウス・マルケッルスの死去に伴って鳥占官(アウグル)に就任した[6][7]。紀元前204年には按察官(プレブス・アエディリス)[8]、同年末には政務官選挙に立候補し、翌年の法務官(プラエトル)に当選した[9]。くじ引きによって、パエトゥスは首都に留まり裁判を担当することとなった[5][10]。
経歴