公用語ドイツ語
首都ノイブルク・アン・デア・ドナウ
公
1505年 - 1557年オットー・ハインリヒ
1799年 - 1808年マクシミリアン1世
変遷
成立1505年7月30日
プファルツ選帝侯領と同君連合1556年 - 1557年
プファルツ=ツヴァイブリュッケンに譲渡1557年
プファルツ=ズルツバッハが分離1614年
プファルツ選帝侯領に併合1685年
バイエルンに統合1808年
プファルツ=ノイブルク公(Herzog von Pfalz-Neuburg)は、1505年に創設され1808年まで継承された、神聖ローマ帝国の領邦君主の称号である。歴代の公は帝国内の有力諸侯の一人であった。
プファルツ=ノイブルク公が統治した領邦、すなわちプファルツ=ノイブルク公領(Herzogtum Pfalz-Neuburg)またはプファルツ=ノイブルク侯領(Furstentum Pfalz-Neuburg)は、バイエルンのノイブルク・アン・デア・ドナウを首都とし、バイエルン地方に散在する面積合計約2,750平方キロメートルの地域であった。
歴史ドナウ川河畔のノイブルク宮殿
1503年に下バイエルン=ランツフート公ゲオルクが死去すると、その遺領の相続を巡り、ゲオルクの娘エリーザベトの嫁ぎ先であるプファルツ選帝侯家と上バイエルン=ミュンヘン公アルブレヒト4世(共にヴィッテルスバッハ家の別系統の家系)との間でランツフート継承戦争
が勃発した。エリーザベトとその夫ループレヒトが病死した翌年の1505年に、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の仲裁で戦争は終結した。