プッシー・キャット・ドールズ
[Wikipedia|▼Menu]

プッシーキャット・ドールズ
The Pussycat Dolls
2008年

グループロゴ
基本情報
別名PCD、ザ・ドールズ
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンルポップ・ミュージックダンス・ポップR&B
活動期間前身(バーレスク一座時代)
1995年 - 2003年2003年 - 2010年
2019年 - 2022年
レーベルポリドール・レコード
A&Mレコード
インタースコープ・レコード
共同作業者エデンズ・クラッシュ、ガーリシャスパラディソ・ガールズバスタ・ライムスティンバランドA・R・ラフマーンブラック・アイド・ピーズウィル・アイ・アムスヌープ・ドッグロドニー・ジャーキンスミッシー・エリオットロビン・アンティン
公式サイトpcdmusic.com

旧メンバーニコール・シャージンガー
カーミット・バシャー
アシュレイ・ロバーツ
ジェシカ・スッタ
キンバリー・ワイアット
メロディー・トーントン

プッシーキャット・ドールズ(The Pussycat Dolls、略称PCD)は、アメリカ合衆国出身のガールズグループ
概要

グループは、カリフォルニア州ロサンゼルスに拠点を置くバーレスク一座として振付師ロビン・アンティンによって結成され、1995年に活動を開始した。

国中で注目を浴びた後にアンティンは、2003年にA&Mレコードインタースコープ・レコードと協議して、一座を音楽グループに変えた。人事変動を経て、2005年にニコール・シャージンガー、メロディー・トーントン、キンバリー・ワイアット、アシュレイ・ロバーツ、ジェシカ・スッタでメンバーが定着。アンティン、インタースコープとその他によって監視されてリアリティ番組、ラスベガスでのショー、マーチャンダイジングなど活動を多角化させていった。

グループは、アルバム『PCD』で世界的な成功を収めた。アルバムは、アメリカのBillboard 200で初登場でトップ5に入り、『ドンチャッ!』『ボタン』『スティックウィッチュー』などのヒット・シングルも生み、グラミー賞にもノミネートした。2008年に2枚目のアルバム『ドール・ドミネーション』を発表し、リカット・シングル『ホエン・アイ・グロウ・アップ』『アイ・ヘイト・ディス・パート』『ワッチャ・シンク・アバウト・ザット』『ジャイ・ホー』『ハッシュ・ハッシュ』が大ヒットした。

出世すると共に名声を得たグループであるが、その明らかな性的なイメージと露骨なお決まりのダンス[1]は非難の的となっている。リードシンガーであるニコール・シャージンガーがほぼ全ての曲でリードを務め、他のメンバーはバックボーカルを担当する[2][3]

2010年、大規模な世界ツアー終了後に当時のメンバーであるジェシカ・スッタ、キンバリー・ワイアット、アシュリー・ロバーツ、メロディー・トーントンがグループを脱退。当初は続投が報じられていたメインボーカルのニコール・シャージンガーもソロに移行すると発表し、メンバー全員がグループを抜けることになった。

それから9年後の2019年11月、ニコール、アシュレイ、ジェシカ、キンバリー、カーミットの5名で再結成を発表[4]
歴史
バーレスク一座時代:1995年 - 2003年

ロビン・アンティンは、1990年代の間にニュー・バーレスク風のパフォーマンスを探求しはじめ、友人のクリスティーナ・アップルゲイトのガレージスタジオで1995年にグループを結成した[5][6]。初期は多数のゲストヴォーカルを迎え、1950年代と1960年代のポピュラー・ミュージックにあわせて、ランジェリーや古風なピンナップ風の衣類をつけてバーレスクパフォーマンスをしていた。グループはロサンゼルスのナイトクラブ「Viper Room」で木曜日の夜にパフォーマンスを行い、1995年から2001年まで続けていた。1995年6月にグループはより注目されるようになった。雑誌『PLAYBOY』に登場し、セミヌードでポーズをとる少なくとも7人のメンバー(ケーシー・キャンベル、キーヴァ・ドーソン、アントニエッタ・マクリー、エリカ・グディス、リンズレイ・アレン)が掲載された。3年後にグループはロキシーへ移った。

グループは国際的な人気を得るようになり、雑誌でフィーチャーされるようになった。グループのメンバー数名が2003年の映画『チャーリーズ・エンジェル フルスロットル』に出演、『The Pink Panther Theme』に合わせて踊っている。ピンクの『トラブル』のミュージック・ビデオにも出演している。クリスティーナ・アップルゲイト、クリスティーナ・アギレラカルメン・エレクトラ(グループの多くのショーのリードを務めた)と一緒に2002年に『マキシム誌』でフィーチャーされる[7]

グループは広い人気を得て音楽製作者ジミー・アイオヴィーンとロン・フェアをプロデューサーに迎えて、インタースコープ・レコードと契約し音楽グループへと変わった。人事に関するさまざまなプロセスの後、残ったメンバーはカーミット・バシャー、サイア・バトン、ケーシー・キャンベル、アシュレイ・ロバーツ、ジェシカ・スッタ、キンバリー・ワイアットの6人である。リードシンガーのニコール・シャージンガーとソプラノのメロディ・ソーントンはグループが音楽グループへと完全に移行するために2003年後半にキャスティングされた。

カルメン・エレクトラはグループのポピュラー音楽グループへの進化とグループへ参加しなかったことを尋ねられた際に「私は2年間以上ドールの一部で彼女らとあらゆるショーをやりました。しかし財政的に私は彼女らの新しい音楽プロジェクトの一部になることができませんでした。それは私が作ることのなかった犠牲です」と答えている[8]。エレクトラはPCDの『ドンチャ!』のミュージック・ビデオに重要な役柄で出演している。エレクトラは2003年後半に「Bombshell Babies」と呼ばれるバーレスク一座を結成させた。
ラウンジ:2005年 - 現在

2005年4月に、ラスベガスのストリップのシーザーズ・パレスのナイトクラブに隣接した「プッシーキャット・ドールズ・ラウンジ」で、ライブショーが音楽活動と平行して開始された。このショーは、1995年にロサンゼルスで始まったバーレスク・スタイルのショーを続けているキャストを含む。ロサンゼルス時代の初期のメンバー、レイチェル・スターリングもショーに参加している。
レコーディング・グループ
2005年 - 2007年:PCD詳細は「PCD (アルバム)」を参照

2003年、エデンズ・クラッシュの元メンバー、ニコール・シャージンガーがリードボーカルになった。同じ年に、ソプラノのメロディ・ソーントンも加わった。レコーディングのメンバーはニコールとメロディ、カーミット、キンバリー、アシュリー、ジェシカ、カーヤである。レコーディングが始まる頃には、彼女らのステージコスチュームは「PCD」のロゴを入れたり色々な商標を付けられていた。彼女らの歌のレパートリーはポピュラー、R&Bソングと広がり新しくなる一方で、製作者とゲストのラッパー、彼女らの初期のフォーマットで人気のあるものは保持された。2004年の映画『シャーク・テイル』と『Shall We Dance?』のサウンドトラックに現れた。新しく作られたレコーディンググループの最初のシングルは『Shall We Dance?』からの『Sway』であった。

2005年9月13日にデビュー・アルバム『PCD』をリリース、Billboard 200で初登場トップ5入りを果たす。アルバムからの1枚目のシングル『ドンチャ!』はイギリスを含む複数の国のチャートで1位を獲得し、母国アメリカではBillboard Hot 100で2位を記録[9]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:51 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef