プチ・ル・マン
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プチ・ル・マン
ユナイテッド・スポーツカー選手権
開催地ロード・アトランタ
スポンサー企業モチュール
初開催1998年
初開催レース1999年
全長1,000マイル、1,600km(1998年-2013年)
周回394
耐久時間1,000.76マイル
(1,610.57 km) または 10時間(1998年-2013年)
10時間(2014年-)
最多勝利
(ドライバー)リナルド・カペロ (5回)
最多勝利
(チーム)アウディ・スポーツ・ノースアメリカ (6回)
最多勝利
(マニファクチャー)アウディ (9回)
2011年

プチ・ル・マン( Petit Le Mans、フランス語で「小さなル・マン」の意味)は、アメリカ合衆国ジョージア州ブラセルトンにあるサーキットのロード・アトランタで毎年1度開催される耐久スポーツカーレースフランス西部自動車クラブ(ACO)が主催するル・マン24時間レースに準じたルールを、主に参戦するレースカーを追加するといった様な必要に応じた修正を若干加えて、本レースに適用している。
概要多数の観衆たち(2008年)

ロード・アトランタのオーナーのドン・パノスによってプチ・ル・マンは創設され、IMSA GT選手権の一環として1998年の10月に第1回のレースが開催された。翌1999年には、アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)のシリーズ・レースのひとつとなった。2010年と2011年のレースではインターコンチネンタル・ル・マン・カップの選手権レースも兼ねていたが、2012年のレースでは、その年に新しくスタートしたFIA 世界耐久選手権の開催スケジュールから外れ、替わりにバーレーンが選ばれていた。その開催カレンダーが公表された後、多くの論争を引き起こした。2014年には、ALMSに替わってその年にスタートしたユナイテッド・スポーツカー選手権のシリーズ・レースのひとつとなった。

1998年から2013年までは、プチ・ル・マンは1,000マイル(1,600km)の走行距離の上限(おおよそ394周に相当する)に到達するか、10時間のレース時間の上限に到達するまでレースが行われる。例外は2009年のレースで、雨で中断して1,000マイル(1,600km)の走行距離に到達せずにレースが終了している。2014年以降は、走行距離の制限は撤廃され10時間のレース時間の上限の規定のみとなった[1][2]。レースカー1台につき2人または3人のチームを組んで争うクラス優勝に加えて、LMP(ル・マン・プロトタイプ)とLMGT(ル・マン・GT、カテゴリの詳細はプロトタイプレーシングカーの記事などを参照)に分割された異なるカテゴリー間でも総合順位が争われる。本レースのクラス優勝者は翌年のル・マン 24時間レースの招待状を自動的に受け取ることが出来たが、2012年よりレギュレーションからその規定は削除された。

リナルド・カペロは、2000年、2002年、2006年、2007年及び2008年の5回の最多優勝の記録を持つ。

2014年以降はUSCC(ユナイテッド・スポーツカー選手権)内の、NAEC(ノースアメリカ・エンデュランスカップ)の一戦となっている。

2015年は初めてGTカーが、プロトタイプカーを抑えて優勝している。豪雨でコンチネンタルのワンメイクタイヤを履くプロトタイプカー勢がグリップに苦しむ中、タイヤ競争のあったGTLMクラスのミシュラン勢が実力を発揮して総合上位に上がった。レースは2時間余りを残してレース終了が宣言され、ポルシェのLM-GTEが優勝を果たした。
レースの記録(総合優勝者のみ)

年ドライバーチームシャシー - エンジン周回数選手権
1998年 エリック・ヴァン・デ・ポール
ウェイン・テイラー
エマニュエル・コラール ドイル-リシ・レーシングフェラーリ・333SP391プロフェッショナル・スポーツカー・レーシング選手権
1999年 デビッド・ブラバム
エリック・ベルナール
アンディ・ウォレス パノス・モータースポーツパノス・LMP-1 ロードスターS-フォード394アメリカン・ル・マン・シリーズ
2000年 アラン・マクニッシュ
リナルド・カペッロ


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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