プジョー
[Wikipedia|▼Menu]

プジョー
Automobile Peugeot

種類部門
業種自動車産業
事業分野自動車
商用車
設立1882年(自動車メーカーとして。会社自体の創業は1810年
創業者アルマン・プジョー
本社ポワシー[1] フランス
主要人物リンダ・ジャクソン (Linda Jackson, CEO)[2][3]
従業員数208,780 (2019年) 
親会社ステランティス
部門プジョー・スポール
プジョー・モトシクル
ウェブサイト ⇒peugeot.com
202。エンジンは最初のプリンス車の参考とされた。

プジョー(Automobile Peugeot)は、フランス自動車メーカーで、かつ世界最古の量産自動車メーカーであったが、現在はステランティス N.V.の一部門である。

その他、50cc - 500ccのモーターサイクルを欧州市場にて、製造販売している。また19世紀末より1980年代まで自転車を製造しており、プジョーの自転車は通算10回、ツール・ド・フランスの総合優勝者の使用機材となっている。Peugeot RCZ Limited Edition
沿革

フランス東部フランシュ・コンテのValentigneyにて1810年頃から冷間製鉄、歯車、ペッパーミルコショウ挽き)[4]鯨の骨からポンパドゥール・スカートの骨を作ったりする金属製造業を営んでいたエミール・プジョーとジャン・ペリエの息子として1849年3月26日に生まれたアルマン・プジョー1865年から経営に参加し、のちに会社としてプジョーを創設した。1882年に"Le Grand Bi"というペニー・ファージング型の自転車を同社のラインナップに追加、その後自動車に興味を持ったアルマンは、ドイツの技術者であり内燃機関および自動車開発のパイオニアであったゴットリープ・ダイムラーらと会ったあと、1889年に蒸気エンジンを搭載した3輪のプジョー初の自動車を4台製作し自動車製造業を始めた。翌1890年ゴットリープ・ダイムラー、エミール・ルヴァッソールと会合をした上で、パナールがダイムラーのライセンス下で製造するガソリンエンジンを蒸気エンジンに替わって採用することになる。その後製造台数を徐々に増やしていき1895年までに約140台を製造しており、世界最古の量産自動車メーカーのひとつとして知られている。1896年には初のプジョー製エンジンを搭載したタイプ15を登場させると同時にSociete Anonyme des Automobiles Peugeotを創立し、甥のロベールの経営によって発展を続けていく。1921年には、ヨーロッパ初の本格的な2人乗り小型車、タイプ161「クアドリレット」(フランス語版)を発表。4気筒、667cc、8馬力で、ルノー・6CV(フランス語版)などと共に大衆車の決定版となった[5]

1974年6月24日には経営不振だったシトロエンを吸収合併し、持株会社「PSA・プジョーシトロエン」(のちのグループPSA)を設立、さらに1979年にはクライスラー ・ヨーロッパ(旧ルーツ・グループおよびシムカ)を傘下に収め、フランス最大の自動車メーカーとなった。自動車だけではなくスクーターなどを中心に自動二輪車も別会社プジョー・モトシクルで生産している。PSAグループの自動車生産台数は本田技研工業とほぼ同規模である。

その後、グループPSAは2021年にフィアット・クライスラー・オートモービルズとの合併によりステランティスとなり、プジョーは同社の一部門となった[6]
車名の命名規則

1929年に登場した201以降、乗用車の車名は「2桁目に0を挟んだ3桁の数字」とする伝統が続いていた[7]ポルシェが開発コード「901」を「911」として市販したのは、プジョーからの申し立てによるものであった[8]

2004年発表の1007から、MPVSUV系の車種に4桁の数字を車名とする規則が導入され[7]2010年発表のRCZでは、201以来初めて数字を用いない車名が使用された。

2012年、小型セダン301の投入と同時にプジョーは80年以上続いた命名規則を改めた。最初の数字は引き続き車格を表し、中央の数字は引き続き「0」または「00」となる。しかし、最後の数字については世代毎に増やすことをやめ、ヨーロッパ向けの主力車種には「8」を、新興国市場向けの車種には「1」を適用することとなった[7]。なお、「301」の車名は1932年から1936年まで販売されていた車種に使用されていたものである。
エンブレムフランシュ=コンテの紋章

プジョーが現在に至るまで採用しているライオンのエンブレムの歴史は、1847年にまでさかのぼる。最初のエンブレムは「矢の上に乗ったライオン」を象ったものであり、創業者アルマンの父エミールの依頼を受けたジュスタン・ブラゼール(Justin Blazer)という金細工師によって考案された[9][10]。ライオンが採用された理由は、当時の主力製品であった鋸の「堅牢さ、しなやかさ、切れ味のよさ」[注釈 1]をアピールするためであり、矢は素早く切れることを表現するためのものだった[9][13][14]。この図柄は1850年に初めて鋸に刻印され、1858年にはフランス国立工芸院により正式なロゴとして登録された[9][13][14]

自動車のエンブレムに採用されたのは1905年になってからで、その後数年間はバイクや工具にも使用されていた[15][16]。1948年にはフランシュ=コンテの紋章にちなみ、後ろ二本脚で立つライオンの図柄が採用され[15][17][18]、1955年頃まで使用された[15]。1960年からはライオンの頭部の上に「PEUGEOT」の文字を配した紋章型のものとなっていたが、1975年から再び後ろ二本脚で立つライオンをデザインに取り入れ、以降何度か細部を変更しつつも保持していた[15][16]

2021年には、車両ラインアップの高級化に伴いブランドの向上を図るべく[19][20]、1960年の紋章型のエンブレムをモチーフにした現在のデザインに変更された[21]。初代から数えて11番目となるこのエンブレムは、プジョーのグローバルデザインを手がけるPEUGEOT Design Labの手によるものであり[19]、「『時間』の概念を中心に開発され、昨日のプジョーの意味、今日のプジョーの意味、そして明日のプジョーの意味を具現化したもの」となっている[20]。一方で、「従来型のエンブレムではミリ波レーダーを隠すのが難しいため、レーダーを隠しやすい紋章型のデザインに切り替えた」と指摘する識者もいる[22]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:80 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef