「プシー・キャッツ」のその他の用法については「プッシー・キャット (曖昧さ回避)」をご覧ください。
『プシー・キャッツ』
ハリー・ニルソン の スタジオ・アルバム
リリース
1974年8月19日
1974年8月30日
録音
1973年3月28日 - 4月
:バーバンク・スタジオ (LA)
1974年 5月- 6月
:レコード・プラント・スタジオ
夜のシュミルソン
(1973年)プシー・キャッツ
(1974年)俺たちは天使じゃない
(1975年)
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『プシー・キャッツ』(英語: Pussy Cats)は、1974年8月19日にアメリカで発表されたハリー・ニルソンの10枚目のアルバムである。ロサンゼルスでいわゆる「失われた週末」を送っていたジョン・レノンがプロデュースを行った。 1973年、ニルソンはアリス・クーパーが主宰する飲酒クラブ「ハリウッド・ヴァンパイアズ
解説
制作に至る経緯
一方、レノンはオノ・ヨーコと別居し、フィル・スペクターをプロデューサーに起用した『ロックン・ロール』のレコーディングのためにロサンゼルスに滞在していた。ある日のレコーディング中、酔っぱらったニルソンがたまたまA&Mスタジオに迷い込んでしまった[1]。旧知のニルソンとの再会を喜んだレノンは、いつか彼のレコードを制作したいと宣言した。ところが12月にスペクターがセッション・テープを持ったまま姿をくらましてしまったため、レコーディングが中断を余儀なくされ、時間を持て余していたレノンはスターやニルソンに誘われるままレインボー・バー&グリルを訪れ「ヴァンパイアズ」に参加した。
ニルソンが初めてレノンに会ったのは1968年、『 ザ・ビートルズ』のレコーディングの最中だった。前年にリリースしたRCAからのデビュー・アルバム『パンディモニアム・シャドウ・ショウ』を聴き、気に入っていたビートルズが彼をスタジオに招き入れた時だった[注釈 1]。
再会後の12月下旬、ニルソンはレノンと共にレコード・プラントで毎週日曜日に行われていた「ジム・ケルトナー・ファンクラブ・アワー」と称されていたジャム・セッション[注釈 2]を訪れた。その際、レノンのプロデュースでミック・ジャガーが「トゥー・メニー・クックス」をレコーディング、ニルソンはバックボーカルで参加した[4]。
1974年3月、毎晩のように飲み歩いていたレノンはハリウッドのナイトクラブ、トルバドールで2度にわたってトラブルを引き起こし[注釈 3]、謝罪に追い込まれた[6]。さすがに反省したレノンは真面目に音楽に取り組むために以前の約束を果たすことに決め、ニルソンに「オールディーズ・カヴァー・アルバム」の制作を持ち掛けた[6]。