ブータンの国民
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祭りに集まった民族衣装姿のブータンの人々

ブータンの国民では、ブータン民族言語及び民族問題について記す。

ブータンの民族は出自、宗教、言語、居住地域などから3つの集団に大別され、言語は方言を含め20前後が確認されているが、系統立った言語調査は実施されていない。目次

1 民族

1.1 ドゥクパ

1.1.1 ガロン

1.1.2 ブムタンパ

1.1.3 ツァンラ


1.2 ローツァンパ

1.3 少数民族


2 言語

3 南部問題

4 脚注

5 関連項目

民族

ブータンでは国勢調査は行われているが、中央統計局発行の統計資料では県(ゾンカク)別の人口や民族別人口が公表されていない。また、人口増加率も計算上の数値を使用している。このため、各種資料の民族構成比率は統一されていないのが現状である。

その傾向は二分され、一つはチベット系住民が人口の過半数を占めていることを示したもので、政府発表の資料を使ったものに多い。もう一つは、ネパール系住民の構成比率を過大評価したブータン難民団体が発行した資料を使用したものに多い。

平均的な数字として、ガロン約20%、ツァンラ約30%、ローツァンパ約40%、その他少数民族約10%を提示しておく。
ドゥクパ

ドゥクパまたはドゥルックパ(Drukpa)は、中部照葉樹林地帯に居住するチベット・ビルマ系の土着の民族集団の総称である。ガロン(西部)、ブムタンパ(中部)、ツァンラ(東部)の3つの集団に分類される。ブータンの人口の多数派を形成し、ブータンの「伝統文化」は彼らの文化を指す。「ドゥクパ」とは、彼らの大多数が信仰するチベット仏教カギュ派の支派である「ドゥク派」という宗派に由来する(パは「人」を表すゾンカ語)。

近年、国民統合の必要性から、「ブータン国民」を「ドゥクパ」と称する傾向が強いが、これは広義の「ドゥクパ」であり、南部のネパール系住民は使用したがらない。
ガロン

ペレ・ラ峠(トンサ県ワンデュ・ポダン県の間)以西に居住するのがガロン(英語版)(Ngalong)と呼ばれる集団である。1000年以上前にチベットから移住してきたとされ、チベット文化の影響が色濃い。彼らの母語は中央チベット語の南部方言に分類されるゾンカ語で、現在国語として普及が進められているゾンカ語は、これを基礎として規範化したものである。上述の通り、チベット仏教のカギュ派ドゥク支派を信仰する。
ブムタンパ

ペレ・ラ峠からトゥムシン・ラ峠(ブムタン県モンガル県の県境)までの中部に居住するのがブムタンパ(Bumthangpa)と総称される集団である。彼らの母語はムタンカと呼ばれるゾンカ語の一種で、古代チベット語の要素を強く残している。ケン(Kheng:現在のダガナ県付近)やクルテ(Kurtoe:現在のルンツィ県付近)といった古代に栄えた地方に住み、ブータンの古い文化を担ってきた人々である。しかしながら、民族としてのブムタンパは、一般的に西部のガロンに包括されることが多い。
ツァンラ

東部最大の街タシガンを中心に分布するのがツァンラ(Tshangla)を自称する民族集団である。最近までシャチョップ(英語版) (Sharchop)と呼ばれていた。「シャ(Shar)」とはゾンカ語で「東」を意味する。彼らは自らの出自をミャンマーアッサム地方だと認識しており、チベット文化の影響を受ける前のブータンの伝統を色濃く残していると考えられている。彼らの母語はツァンラカ(Tshanglakha)もしくはシャチョップカ(Sharchopkha)と呼ばれ、チベット・ビルマ語派の中でもビルマ語系に近いと考えられている。
ローツァンパ

ローツァンパ(Lhotshampa)は、主に南部低地地帯(タライ平原)に居住するネパール系の住民を指す。「ロ(lho)」とはゾンカ語で「南」を意味する。英語ではsouthernersと表記されることもある。彼らの自称は「ネパリ」(ネパール人の意)で、英語表現ではBhutanese Nepalis(bhutani nepaliharu)が好まれる。古くは「ネパリ」若しくは「南部ブータン人」という呼称が公式にも使用されたが、1980年代からローツァンパという呼称に置き換えられるようになった。彼らはインド=アーリア系のネパール語を話し、ヒンドゥー教を信仰している(イスラム教を信仰する者もいる)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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