Bougival
行政
国 フランス
地域圏 (Region)イル・ド・フランス地域圏
県 (departement)イヴリーヌ県
郡 (arrondissement)サン=ジェルマン=アン=レー郡
ブージヴァル (Bougival)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、イヴリーヌ県のコミューン。
地理閘門
ブージヴァルはセーヌ川左岸の湾曲した凹部にあり、サン=ジェルマン=アン=レーのおよそ3km東に位置する。ブージヴァルの位置はかつて水が流れていた沈没谷の河口部に当たる。また、ブージヴァルはセーヌ川に浮かぶショーセ島の大部分と、ロジュ島も面積に含んでいる。これら2つの島の間には閘門がある。
ブージヴァルの標高は多様性に富む。閘門では23.73m、教会では29.50mで、標高の最高地点は駅の近辺である。
東はリュエイユ=マルメゾン、南はラ・セル=サン=クルー、西はルーヴシエンヌ、北のクロワシー=シュル=セーヌはセーヌ川右岸で向かい合う。
コミューンの土壌は全体的に石灰岩質である。
コミューンには川沿いを走る県道113号線と、南北に通じる県道321号線が通じている。後者はブージヴァル橋を右に向かって横切り、クロワシー=シュル=セーヌとの往来ができる[1]。
ブージヴァル駅はサン・ラザール駅からサン・ノム・ラ・ブルテシュ駅の区間の路線が通じる。しかしブージヴァル駅はラ・セル=サン=クルーの領域内にある。
コミューンの領域は高度に都市化されているが、特に南西端はルーヴシエンヌの森の一部をなす手つかずの森林が残されている。
由来ブージヴァルのセーヌ河岸
ブージヴァル
Bougivalとはフランク時代かメロヴィング朝時代の名Baudegisil(ゲルマン語で「力強い仲間」を意味する)またはBaudegisilの谷からきている[2]。フランク族の王子ムンデリックの子孫、ボドギセル(Bodogisel)に由来するのかもしれない。
その他に、ブージヴァルは「沼地の谷」(Val des Boges)と呼ばれていたという説がある。このケルト語の名は、石炭やチョーク、石が産出された谷の両側を示すのに用いられた[3]。Val des Bogesは次第にBeudechisilovalle、Bogeval、Bogival、Bogevaux、Bogivaut、Bougivallis、Buchivallis、Burgi Vallisと変化していった[3]。13世紀にはBachivallisとなっていた。
後者の綴りに基づけば、斜面に植えられたブドウの存在があって、一部の言語学者たちはブージヴァルの名がBacchivallis(Val de Bacchus、バッカスの谷)に由来すると仮説した。
一部の学者たちはブージヴァルが「ウシの谷」を意味するVal des B?ufsから派生したと信じている。重要な家畜の市がラ・セル=サン=クルーにあったからである。これらのウシはシャルルヴァンヌ・ラ・ショーセから市場へ向け出荷され、「ウシの谷」を通過した。1250年に市場はポワシーに移転した[3]。
シャルルヴァンヌ
ブージヴァルの起源は、9世紀に知られていたシャルルヴァンヌの集落である[4]。811年から829年にかけてのルイ敬虔王のディプロマにおいて、初めてまちに人が居住していたことが報告された。この中で敬虔王の曽祖父カール・マルテルがパンセレ地方(メロヴィング朝時代にガリア人が居住)のセーヌ河岸(現在のリュエイユ=マルメゾン)に漁場を築き、漁場はサン=ジェルマン=デ=プレ修道院に授けられたという。憲章にはPiscatoriaとVennaの名が示されている。同じ場所は1008年に死んだ歴史家エモワンが、パリ周辺とKaroli-VennaとKaroli-Piscatoriaがノルマン人に荒らされたと記している[4]。
シャルルヴァンヌは、現在のラ・ショーセ島(La Chaussee、現在はリュエイユ=マルメゾンに属し、ブージヴァルでない)と同じ場所である。13世紀にはBuchivallis、その後BachivallisやBacchivallisの名が見つけられるが、急速にBogeval、Bogival、Bogevaux、Bougivalle、Bougivalへと変わっていった[4]。