ブーシュ=デュ=ローヌ県
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ブーシュ=デュ=ローヌ県
Bouches-du-Rhone
ブーシュ=デュ=ローヌ県旗 ブーシュ=デュ=ローヌ県章
位置

概要

県番号13
地域圏プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール
県庁所在地マルセイユ
郡庁所在地エクス=アン=プロヴァンス
アルル
イストル
郡4
小郡57
コミューン119
県議会議長マルティーヌ・ヴァサル

統計
人口
国内3位  (2011年)
1,975,896人
人口密度388人/km2
面積15,087 km2
1 「French Land Register data」(1平方キロ以上の湖沼、エスチュアリー、氷河などの水面積除く。
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ブーシュ=デュ=ローヌ県(ブーシュ=デュ=ローヌけん、Bouches-du-Rhone)は、フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏の県である。県名は「ローヌ川の河口」の意味。
歴史

1790年3月4日、かつてのプロヴァンス州、そして3つの公領(オランジュマルティーグ、ランベスク)で構成される県として誕生した。新たな県都となったのは、かつてプロヴァンス高等法院が置かれていたエクサン=プロヴァンスであった。

1793年、ヴォクリューズ県新設のために県はデュランス川北部の面積を割譲した。ヴォクリューズ県にはアヴィニョン、ヴネサン伯領、オランジュ、アプトが含まれた。

ブーシュ=デュ=ローヌ県はただちに革命に非常に有利になり、非常に活発であった。

1800年、県都はエクスからマルセイユに移転した。

1815年、ワーテルローの戦い第七次対仏大同盟が勝利すると、オーストリア軍が1818年11月まで県を占領していた。

1790年に発足したブーシュ=デュ=ローヌ県と現在の境界線。

1790年の地図

1854年の絵地図[注 1]

地理

ガール県、ヴォクリューズ県、ヴァール県と接する。県の西はローヌ川が、北側はデュランス川が県境となっている。ローヌ川はアルルの下流でグラン・ローヌとプティ・ローヌとに流れが分かれる。これがいわゆるローヌ川デルタカマルグが形成される。カマルグは湿地帯である。そこにはベール湖やボルモン湖といった、大小の湖沼、潟が含まれる。ベール湖とグラン・プラン・デュ・ブールの間にはクロー平野がある。

県の主な山脈は、サント=ボーム山塊サント=ヴィクトワール山地、エトワール山地、ガルラバン峰、アルピーユ山脈である。
人口統計

ブーシュ=デュ=ローヌは国内第3の人口を持つ。

1968年1975年1982年1990年1999年2006年2007年
1 470 2711 632 9741 724 1991 759 3711 835 7191 937 4031 958 930

出典: SPLAF[1] et INSEE pour les annees 2006[2] et 2007[3]
主なコミューン

コミューン人口
2007変遷
2007/1999コミューン人口
2007変遷
2007/1999
マルセイユ852,396[B 1]  6,9 %ポール・ド・ブーク16,967[B 2]==  -0,8 %


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