ブレシア
[Wikipedia|▼Menu]

ブレシア
Brescia
ブレシア城からの眺望
行政
イタリア
ロンバルディア
県/大都市 ブレシア
CAP(郵便番号)25100
市外局番030
ISTATコード017029
識別コードB157
分離集落Fornaci (フォルナーチ), Sant'Eufemia (サンテウフェーミヤ), San Polo (サン・ポーロ)
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
気候分類zona E, 2410 GG
公式サイト ⇒リンク
人口
人口195,102 [1] 人 (2021-01-01)
人口密度2,151.5 人/km2
文化
住民の呼称bresciani (ブレシアニ)
守護聖人Santi Faustino e Giovita (聖人ファウスティーノと聖人ジョヴィータ)
祝祭日2月15日
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯45度32分20秒 東経10度13分13秒 / 北緯45.53889度 東経10.22028度 / 45.53889; 10.22028座標: 北緯45度32分20秒 東経10度13分13秒 / 北緯45.53889度 東経10.22028度 / 45.53889; 10.22028
標高149 (104 - 874) [2] m
面積90.68 [3] km2
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} ブレシアの位置

ブレシア県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
テンプレートを表示

ブレシア(: Brescia ( 音声ファイル))は、イタリア共和国ロンバルディア州にある都市で、その周辺地域を含む人口約20万人の基礎自治体コムーネ)。ブレシア県県都であり、ロンバルディア州では2番目に人口の多い都市である。ブレーシャなどとも表記される。

ローマ時代にはブリクシアと呼ばれ、アルプス以北との交易で栄えた歴史を持つ。市内には古代から中世にかけての遺跡や歴史的建築物が多く残っており、ランゴバルド王国が遺した修道院はユネスコ世界遺産に登録されている。また、ブレシアはイタリア有数の工業地帯の中心都市であり、機械工業や製鉄業が盛んである。中世以来の金属加工と武器製造の伝統を有し、兵器生産地としても知られる。
名称

Brescia は [?bre??a] または [?br???a] [4]と発音される。日本語文献では「ブレシア」[5][6][7]のほか、「ブレーシャ」[8]、「ブレッシア」[6]、「ブレシャ」[9]、「ブレッシャ」などとも表記される。

標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。

ロンバルド語ブレシア方言 (it) : Bresa [10]

ラテン語: Brixia (ブリクシア)

地理ブレシア県概略図
位置・広がり

ブレシア県南部のコムーネである。ブレシアの市街は、ベルガモから東南東へ45km、クレモナから北北東へ48km、ヴェローナから西へ62km、州都ミラノから東へ80kmの距離にある[11]
隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。



コッレベアート - 北

コンチェージオ - 北

ボヴェッツォ - 北

ナーヴェ - 北東

ボッティチーノ - 東

レッツァート - 東南東

カステネードロ - 南東

ボルゴサトッロ - 南

サン・ゼーノ・ナヴィーリオ - 南

フレーロ - 南南西

カステル・メッラ - 南西

ロンカデッレ - 西

グッサーゴ - 北西

チェッラーティカ - 北西


地勢

ポー平原の都市である。ヴァル・トロンピア (it:Val Trompia) の出口、マッダレーナ山 (it:Monte Maddalena) の麓に位置しており、メッラ川 (it:Mella (fiume))  とナヴィリオ運河  (it:Naviglio di Brescia) に挟まれている。
主要な市街

ブレシアの旧市街地は四角形で、道路は直交している。これは、ローマ時代の都市計画を受け継いだものである。中世には、ローマ時代の都市よりやや広い範囲が城壁で囲まれた。現在の"Centro storico"と呼ばれる地域の北東部を占める。
地震分類

イタリアの地震リスク階級 (it) では、2 に分類される[12]
歴史

ローマ時代以前に起源を持つ。ローマ時代にはブリクシア (it:Brixia) の名で呼ばれ、アルプス以北との交易で栄えた[5]

キリスト教国家となった時代の西暦568年(または569年とする説がある)にブレシア周辺は、ランゴバルド王国の支配下に入った。その後、774年にフランク王国カール大帝に征服された。

12世紀初頭に自治都市となり、その後は農村地帯まで支配の拡大を図った。そのため、周辺の都市ベルガモクレモナと対立した。クレモナとは二度の戦争を起こし、いずれも勝利を収めた。

なお、1769年には、聖ナザロ教会の通廊に保管されていた80トンの火薬が落雷により引火、街の2割弱が吹き飛ばされる大損害を受けている(ブレシア大爆発)。そのため、教会に避雷針を設置することを許可するようになったきっかけが、この事件という説もある。

1849年春には、オーストリアの支配に対する反乱が発生した(ブレシアの十日間)。この時のブレシア市民の戦いから、ブレシアの街は「イタリアの雌獅子(Leonessa d'Italia)」の美称で呼ばれる。
社会
経済・産業

イタリア有数の工業地帯の中心都市であり、機械工業や自動車エンジニアリング、工作機械工業が盛んである。多くの工場は家族経営の中小企業である。

中世以来の武器製造の伝統を有し[6]、現代においてもブレシアはイタリアの代表的な兵器生産地である[13]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef