ブレイキング・ベンジャミン
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ブレイキング・ベンジャミン
2015年
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ウィルクスバリ
ジャンルポスト・グランジ[1][2]
オルタナティヴ・メタル[2][3]
ヘヴィメタル[1][2]
オルタナティヴ・ロック[2][3]
ハードロック[3]
グランジ[3]
活動期間1998年?2010年、2013年?現在
レーベルHollywood Records
Avex
公式サイト ⇒www.shallowbay.com

メンバーベンジャミン・バーンリー
キース・ウォーレン
ジェイセン・ラウチ
アーロン・ブラッチ
ショーン・フォイスト

ブレイキング・ベンジャミン (Breaking Benjamin) とは、アメリカ合衆国ロックバンド

アメリカでは圧倒的な人気を誇っている新世代オルタナティヴ・ロックバンドで、これまでに4枚のアルバムをリリースしているが、その内2枚が全米で100万枚以上を売り上げる大ヒットを記録した。「怒りと悲しみが同居する、激しくもどこか切ない楽曲」が、彼等の持ち味である。
目次

1 メンバー

1.1 現在のメンバー

1.2 旧メンバー


2 略歴

3 ディスコグラフィー

3.1 アルバム

3.2 シングル

3.3 EP

3.4 ミュージック・ビデオ


4 脚注

5 外部リンク

メンバー
現在のメンバー

ベンジャミン・バーンリー/Benjamin Burnley - (ヴォーカル・ギター、1998?)

キース・ウォーレン/Keith Wallen - (ギター・バッキングヴォーカル、2014-)

ジェイセン・ラウチ/Jasen Rauch - (リードギター、2014-)

アーロン・ブラッチ/Aaron Bruch - (ベース・バッキングヴォーカル、2014-)

ショーン・フォイスト/Shaun Foist - (ドラムス・パーカッション、2014-)

旧メンバー

アーロン・フィンク/Aaron Fink - (元ギタリスト、1998, 2001-2011)

マーク・クレパスキー/Mark Klepaski - (元ベーシスト、2001-2011)

ジャーミー・ハメル/Jeremy Hummel - (元ドラマー、1998-2004)

Jonathan "Bug" Price - (元ベーシスト、1998-2001)

チャド・スゼリガー/Chad Szeliga - (元ドラマー、2005-2013)

略歴

1998年にベンジャミン・バーンリーとジャーミー・ハメルが中心となり、結成。なお、「ブレイキング・ベンジャミン(壊している、ベンジャミン)」というバンド名についてだが、ある日バンドがニルヴァーナの楽曲を演奏している最中に、ヴォーカルのベンジャミン・バーンリーが目の前にあったマイクを蹴って破壊した事から思い付いたと言われている。その後、一時は「Plan 9」という新たなバンド名の案も出ていたが、あまり気に入らなかったそうである。

2002年初頭には、メジャーレベールのHollywood Recordsと契約を結び、直後に自身の名を冠した1stミニアルバム「Breaking Benjamin EP」でデビューを飾った。これが2000枚を売り上げ、それに続く形で同年8月27日に1stアルバム「Saturate」をリリース。このアルバムは、全米アルバムチャートにて初登場136位を記録している。

2004年6月29日には、2ndアルバムとなる「We Are Not Alone」をリリースし、全米アルバムチャートにて初登場20位を記録。その後もセールスは伸び続け、結果的に100万枚以上を売り上げ、プラチナム・ディスクに認定された。

2006年8月6日には、3rdアルバム「Phobia」をリリースし、全米アルバムチャートにて初登場2位を記録。同アルバムに収録されている1stシングル"The Diary of Jane"が、全米メインストリームロックチャートにて最高2位を記録し、続く2ndシングル"Breath"で遂に同チャートで1位を獲得。これらの成功と共にアルバムもセールスを伸ばし続け、結果的に前作と同じく100万枚以上を売り上げプラチナム・ディスクに認定。

2009年9月29日には、4thアルバム「Dear Agony」をリリースし、全米アルバムチャートにて初登場4位を記録。2011年現在までに、全米で50万枚以上を売り上げ、ゴールド・ディスクに認定されている。

2010年の夏から、バンドは、ベンジャミン・バーンリーの病気のため、活動を休止すると発表した。

2011年5月、バーンリーは裁判所を通じ、アルバムへの収録が見送られた楽曲を公にするにあたって、ギタリストのアーロン・フィンクとベーシストのマーク・クレパスキーが不公平な決定をしたと表明。これにより両氏は解雇され、メンバーはバーンリーとスゼリガーの2名となった。この件についてフィンクとクレパスキーは弁護士を通じバーンリーの主張を否定している。双方の主張は相違し、調停でバーンリーはバンドの名称をめぐる占有権と、少なくとも25万ドルの損害賠償を求めた[4]。またバーンリーは和解が成立したのちバンドを再始動する計画だと述べている[5]

2013年4月、バンドの名称をめぐる権利をバーンリーが得る形で紛争は解決する。同時にバンドの活動を続けていくことを公式サイトで発表した[6]。しかし同時期にスゼリガーは創造的な違いを理由にバンドを脱退[7]、同年10月からバーンリーを唯一のメンバーとしアコースティック形式によるライブ活動を再開[8]

2014年8月、新たなメンバーを4人迎え、ヴォーカルのバーンリーを中心とした5人編成となった[9]。同年10月には新たなアルバムの制作を行っている[10]ことを新ドラマーのフォイストがインタビューで明らかにしている。
ディスコグラフィー
アルバム

年タイトルアルバム詳細チャート最高位認定
US
[11]AUS
[12]AUT
[13]CAN


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