音楽バンドについては「ザ・ブルーインパルス」をご覧ください。
第4航空団飛行群
第11飛行隊
展示飛行中のT-4「ブルーインパルス」
(2009年9月13日、百里基地航空祭)
創設1960年4月16日
(第1航空団第2飛行隊内「空中機動研究班」として)
国籍 日本
軍種 航空自衛隊
任務曲技飛行による航空自衛隊の広報活動
基地浜松基地(1960年4月16日から1981年3月31日まで)
松島基地(1982年7月以降)
ニックネームブルーインパルス
モットー創造への挑戦(Challenge for the Creation.)[1]
使用機種ノースアメリカン/三菱重工業 F-86F(1960年4月16日から1981年3月31日まで)
三菱重工業 T-2(1982年7月から1995年12月22日まで)
川崎重工業 T-4(1995年12月22日以降)
主なミッション東京オリンピックにおける展示飛行(1964年)
日本万国博覧会における展示飛行(1970年)
ネリス空軍基地における展示飛行(1997年)
表・話・編・歴
ブルーインパルス(Blue Impulse)は、航空自衛隊に所属する曲技飛行隊(アクロバット飛行チーム)の愛称である[2]。
当初は部隊の中の1チームという位置づけであったが、1995年には正式に1部隊として独立した。正式部隊名は第4航空団飛行群第11飛行隊で、広報活動を主な任務とし[3]、展示飛行を専門に行う部隊である[4]。世界の曲技飛行隊の中でも、スモークを使用して空中に描画を行う、いわゆる「描きもの」が得意なチームとして知られている[5]。
本項では、旧日本陸海軍が行なっていた曲技飛行(アクロバット飛行)の歴史も含めた上、第11飛行隊の体制についても解説する。また、第11飛行隊では、ブルーインパルスがイベント等で行う飛行のことを「展示飛行」[6]、展示飛行の開催地に向かうことを「展開」と称している[6]ため、以下本項でもそのように記述する。
なお、航空交通管制における編隊のコールサインは、愛称がそのまま用いられている[2]。
目次
1 沿革
1.1 前史
1.1.1 源田サーカス
1.1.2 自衛隊設立後
1.2 F-86F時代(1961年→1981年)
1.2.1 制式発足へ
1.2.2 愛称決定と特別塗装の導入
1.2.3 東京五輪で五輪を描く
1.2.4 1960年代後半
1.2.5 大阪万博で文字を描く
1.2.6 1970年代
1.3 T-2時代(1982年→1995年)
1.3.1 国産練習機の導入
1.3.2 浜松基地航空祭での墜落事故
1.3.3 任期の問題
1.3.4 訓練中の事故
1.4 T-4時代(1995年以降)
1.4.1 独立した飛行隊として発足
1.4.2 初の国外遠征
1.4.3 1990年代後半
1.4.4 40周年目の事故
1.4.5 50周年、通算展示飛行1,000回を達成
1.4.6 東日本大震災による被災
1.4.7 松島基地への帰還
2 体制
2.1 組織
2.1.1 飛行班
2.1.2 歴代隊長(T-4)
2.1.3 整備小隊
2.1.4 総括班
2.2 支援設備
2.3 訓練空域
3 歴代運用機
3.1 F-86F(1960年→1981年)
3.2 T-2(1982年→1995年)
3.3 T-4(1996年以降)
3.4 保存機
4 展示飛行
4.1 開催場所
4.2 気象条件
4.3 各機の役割
4.4 スモーク
4.5 塗装デザイン
4.5.1 F-86F 初代塗装
4.5.2 F-86F 新塗装
4.5.3 T-2 塗装
4.5.4 T-4 塗装
4.6 課目