ブルー・アンド・ジョン・クロウ・マウンテンズ国立公園
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ブルー・アンド・ジョン・クロウ・
マウンテンズ国立公園
ブルー・マウンテン山脈
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地域サリー郡
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯17度57分00秒 西経76度49分00秒 / 北緯17.95000度 西経76.81667度 / 17.95000; -76.81667座標: 北緯17度57分00秒 西経76度49分00秒 / 北緯17.95000度 西経76.81667度 / 17.95000; -76.81667
面積495.2 km2

ブルー・アンド・ジョン・クロウ・マウンテンズ国立公園(Blue and John Crow Mountains National Park)はコーヒーの銘柄ブルーマウンテンで知られるブルー・マウンテン山脈を含むジャマイカ国立公園で、面積は国土の4.5 %にあたる495.2 km2である。生物多様性に特色があり、西半球最大のであるホメルスアゲハ(英語版)(Papilio homerus)の希少な生息地であるとともに、絶滅が危惧されているジャマイカクロムクドリモドキ(英語版)の生息地、さらにはジャマイカボア(英語版)、ジャマイカフチアの保護区でもある。また、その核心部分は逃亡奴隷であるマルーンたちの自由獲得の歴史とも密接に関わることから、2015年にUNESCO世界遺産リストに複合遺産として加えられた。ジャマイカ初の世界遺産であるとともに、カリブ海島嶼国家では初の複合遺産である。
ブルー・マウンテン山脈

ブルー・マウンテン山脈はジャマイカ島の東3分の1を占める山脈である。その最高峰は標高2,256 mブルー・マウンテン峰であり、これが国内最高峰にもなっている。コーヒーの銘柄ブルーマウンテンの栽培地であるが、歴史的には解放奴隷マルーンたちの反乱と自治の場でもあった。

1655年5月に、イングランド提督ウィリアム・ペンとロバート・ヴェネイブルス(英語版)将軍(Robert Venables)に率いられたイギリスの探検隊がヒスパニョーラ島攻略に失敗した後、まだほとんど人がいなかったこの島を占領した。元の入植者であったスペイン人たちは、手許の奴隷たちを解放して逃げ出した。その奴隷たちは密林へと散り、島の東部にあるブルーマウンテン山脈の北斜面や島の西部にある入り組んだ地形のコックピット地帯(フランス語版)(Cockpit)に、秘密の村々を形成した[1]。1世紀半の間、この2つの地域は多くの隠れ場所があったおかげで、逃亡奴隷であるマルーンたちの反乱の後方基地となった。
ジョン・クロウ山脈

ジョン・クロウ山脈(英語版)はジャマイカ島の北東岸と並行に伸びており、西をリオ・グランデ(グランデ川(英語版))に区切られ、南東ではブルー・マウンテン山脈の東端に接している[2]。ジョン・クロウ山脈の最高峰は3,750フィート (1,140 m)あまりである[2]

ジョン・クロウ山脈の名が最初に記録されたのは1820年代のことで[3]ヒメコンドルのジャマイカ名に由来する。この名になる前には、そのコンドルの以前の名をとって「キャリオン・クロウ山脈」と呼ばれていたとされている[4]。1890年に総督のヘンリー・ブレイク(英語版)がブレイク山脈(the Blake Mountains)と改名することを決めたが、定着しなかった[3]
世界遺産

ブルー・アンド・
ジョン・クロウ・
マウンテンズ
ジャマイカ

リオ・グランデとジョン・クロウ山脈
英名Blue and John Crow Mountains
仏名Montagnes bleues et monts John Crow
面積26,252 ha (緩衝地帯 28,494 ha)
登録区分複合遺産
IUCN分類II(国立公園)、VI(資源保護地域)
登録基準(3), (6), (10)
登録年2015年
公式サイト世界遺産センター(英語)
使用方法表示

ブルー・アンド・ジョン・クロウ・マウンテンズ国立公園は2006年8月28日に世界遺産の暫定リストに加えられた[5]。公園のほぼ全域を対象とする推薦は2011年の第35回世界遺産委員会で審議されたが、文化・自然要素の両面で登録が見送られた[5]。ジャマイカ当局は推薦範囲を公園の核心部分に絞って再推薦を行い[6]、2015年の第39回世界遺産委員会で正式登録が認められた[7]
登録基準

コーヒーの銘柄「ブルー・マウンテン」の産地であるが、中南米に見られるコーヒー栽培の文化的景観を対象とする世界遺産と異なり、文化遺産としての主たる要素は、反乱の指導的女性グラニー・ナニーの名を冠したナニー・タウン(英語版)をはじめとするマルーンの拠点、およびそれらと繋がる道々である[8]。マルーンの集落や遺跡はカリブ海の諸地域に残るが、ブルー・アンド・ジョン・クロウ・マウンテンズのそれは、第1次マルーン戦争を経て結ばれた1739年のマルーン協定が彼らの自治を認めた初の条約だったという歴史的意義と繋がっている[9]。また、山々自体が葬礼や信仰も含むマルーン文化と密接に結びついてきた点も評価された[10]

他方、自然遺産として評価されたのはその生物多様性である。一帯は山地の熱帯雨林であり、特に顕花植物は1350種余りのうち、ジャマイカの固有種が300種近く、うち87種は登録範囲内にしか生育していない[11][12]


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