ブルーミントン_(イリノイ州)
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ブルーミントン

Bloomington
マクリーン郡裁判所
マクリーン郡内の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度29分03秒 西経88度59分37秒 / 北緯40.48417度 西経88.99361度 / 40.48417; -88.99361
アメリカ合衆国
イリノイ州
マクリーン郡
政府
 ? 市長タリ・レナー
面積
 ? 合計27.2 mi2 (70.5 km2)
 ? 陸地30 mi2 (70 km2)
 ? 水域0 mi2 (0 km2)
標高797 ft (242.9 m)
人口(2020年)[1]
 ? 合計78,680人
等時帯UTC-6 (中部標準時)
 ? 夏時間UTC-5 (中部夏時間)
ZIPコード61701, 61704, 61705
市外局番309
ウェブサイト ⇒[1]

ブルーミントン(Bloomington)は、アメリカ合衆国イリノイ州の都市。マクリーン郡の郡庁所在地である。人口は7万8680人(2020年)。ノーマルに隣接しており、ブルーミントンとノーマルで構成されるブルーミントン・ノーマル都市圏を形成している。
地理

ブルーミントンは北緯40度29分03秒 西経88度59分37秒 / 北緯40.48417度 西経88.99361度 / 40.48417; -88.99361に位置している[2]。標高は243mである。アメリカ合衆国国勢調査局によると、市域全面積は27.23平方マイル (70.5 km2) で、水域は0.01平方マイル (0.026 km2) である[3]
気候

イリノイ州ブルーミントン
雨温図説明

123456789101112
  1.7 3114  1.7 3718  2.9 4829  3.8 6140  4.5 7351  3.9 8361  4 8665  3.8 8463  3 7754  2.7 6542  3.1 4931  2.4 3620
気温(°F)
総降水量(in)
出典:ザ・ウェザー・チャンネル[4]

メートル換算
123456789101112
  44 -1-10  43 3-8  73 9-2  97 164  115 2311  99 2816  100 3018  97 2917  75 2512  69 186  78 9-1  61 2-7
気温(°C)
総降水量(mm)

近年のブルーミントンの平均気温は-10℃(1月の最低気温)から30℃(7月の最高気温)まで変化している。観測史上最も低い気温は1985年1月に観測された-31℃で、最も高い気温は1988年6月の39℃となっている。月間降水量は2月の43oから5月の115oまで変化している[4]
歴史1910年頃の写真、ダウンタウンの広場の東側から北西方向を望む

現在のブルーミントン周辺は、ヨーロッパ系アメリカ人の入植者が最初に到達した1820年代前半までは、アメリカインディアン部族のキカプー族が暮らしていた広大な林のはずれであった[5]。街の歴史はケグ・グローブ(Keg Grove)という名ではじまり、やがてブルーミング・グローブ(Blooming Grove)と呼ばれるようになった。ブルーミントンという名になったのは1830年12月25日のことで、同時にマクリーン郡が設立され、同郡の郡庁所在地となった[6]

マクリーン郡が設立されたとき、郡庁所在地も同時に制定された。しかし、法律にはブルーミントンの用地は「後に設置される」としか記されていなかった。新たな郡の創立者の一人、ジェームズ・アリンは彼が所有していた60エーカー(24万m2)の土地を新しい街のために寄付すると申し出た。彼の申し出は受け入れられ、ブルーミントンの街が設計された。土地は1831年の独立記念日に行われた盛大なオークションで販売された。この時点ではほとんど道路はできていなかったが、肥沃な土壌は新たな農民を引きつけ、新しい郡で商売をはじめた。至る所からやってきた人々が街の中心、現在のダウンタウンで交易や商売をしていた。その中には近隣のスプリングフィールドで弁護士として働いていたエイブラハム・リンカーンも含まれていた[5]

1900年、パトロール中の警官が市庁舎と警察署の向かいにあるクリーニング屋から火の手が上がっているのを発見した。彼は警告を発したが、結局ダウンタウンのほとんどが焼き尽くされた。とりわけ裁判所の北側、東側の被害が深刻だった。焼失した地域は地元の建築家ジョージ・ミラーやパポール・O・モラッツのデザインした建物ですぐに再建された。

20世紀の最初の20年間、ブルーミントンは成長を続けた。農業、高速道路や鉄道の建設、保険業(主にステートファーム保険)の成長は市の成長に大きな影響を与えた。ダウンタウンは地域のショッピングセンターとなり、隣接する郡の交易品を引きつけた。
人口動態

人口推移
年人口%±
1850
1,594?
18607,075343.9%
187014,590106.2%
188017,18017.8%
189020,00016.4%


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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