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やノートページでの議論にご協力ください。ZB vz. 26国軍歴史文物館所蔵のVz.26軽機関銃
ZB vz. 26
種類軽機関銃・分隊支援火器
製造国 チェコスロバキア
設計・製造ブルノ兵器廠(英語版) 他
年代1920年代
仕様
種別軽機関銃
口径7.92mm
銃身長503mm
使用弾薬7.92×57mm
装弾数20/30発箱型弾倉
作動方式ガス圧作動方式
全長1130mm
重量9.6kg
発射速度550発/分
銃口初速744 m/s
有効射程1,000 m
歴史
設計年1923年
製造期間1924年~1945年
配備期間1924年~
配備先チェコスロバキア軍
関連戦争・紛争日中戦争
チャコ戦争
スペイン内戦
第二次世界大戦
朝鮮戦争
国共内戦
ユーゴスラビア紛争など
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ブルーノZB26軽機関銃(Lehky kulomet vz. 26)は、1926年にチェコスロバキアで開発された軽機関銃である。日本軍ではチェコ機銃と通称された。目次
1 開発経緯
2 バリエーション
3 他国での使用
4 ギャラリー
5 登場作品
5.1 映画
5.2 ゲーム
6 脚注
6.1 注釈
6.2 出典
7 関連項目
8 外部リンク
開発経緯 設計者のヴァーツラフ・ホレク(1886-1954)
第一次世界大戦中、各国の軍隊は軽機関銃を「威力の弱い妥協の産物」としか見ていなかった。当初の軽機関銃はありものの臨時採用(ルイス)、重機関銃の軽量化(MG08/15)、量産性は優れるが作動が不安定なもの(ショーシャmle1915)等で、必ずしも満足できる性能であるとは言い難かった。しかし戦訓を検討するにつれ、可搬性が高く歩兵分隊に随伴でき、コンパクトで容易に射撃位置につけられ、戦闘での即応性に優れる軽機関銃は、もはや近代的な歩兵戦闘に不可欠な存在であることは明らかだった。
これに伴い、各国の軍隊では第一次大戦中から本格的に軽機関銃の研究開発を開始、大戦末期のアメリカ軍のブローニングM1918A1 BARに始まり、1920年代には日本で十一年式軽機関銃、フランスでFM mle1924/29軽機関銃、ソ連でもDP28軽機関銃が制式化されるなど一気に軽機関銃の採用ラッシュが始まった。
チェコスロバキアもこの趨勢に従い、軽機関銃の開発・生産を盛んに行った。
背景には二つの動機があった。一つは国防のためで、旧オーストリア=ハンガリー帝国から独立して間も無いチェコスロバキアの国軍は弱小であり、国防力整備が急務であった。もう一つは外貨の獲得で、大量生産した機関銃を輸出した。そしてオーストリア=ハンガリー帝国時代からの重工業地帯であったチェコ地域には、優秀な兵器を開発・生産するだけの充実した工業基盤が存在していたのである。
チェコ陸軍は1923年に新軽機関銃の要求仕様を確定し、ブルノ兵器廠の銃技師であったヴァーツラフ・ホレク(英語版)により設計が行われた。試作は極めて順調で、1926年にブルノZB vz.26軽機関銃としてチェコスロバキア陸軍に制式採用された。
銃自体の重量は約8.9 kgと他国の軽機関銃と比べ若干軽量であった。ガス圧作動方式を採用し、照星前方の銃身を調節リングが囲む形状のガスレギュレーターを備え、ガスチューブへ導くガス圧を7段階で調節できた。弾薬としては小銃弾(7.92 mm×57モーゼル弾)をそのまま使用できた。銃身にはキャリングハンドルが付属し、これを使って過熱した銃身の交換作業も容易に行うことができた。また銃身自体も300発ほどなら無交換で使用できた。そしてZB26軽機関銃の最大の特徴は「壊れにくい」ことにあった。当時の他国製の機関銃と比べ、ZB26軽機関銃の機関部などの故障の少なさは驚くべきものであった。高性能で価格も安いZB26軽機関銃は各国に知られるところとなり、多くの国から輸出の引き合いがあった。
バリエーション
ZB26
ZBシリーズの初期生産型。故障が少なく他国に大量に輸出された。
ZB27
ZB26改良型。銃身、遊底構造の単純化及びガス圧システムを改良したもの。
ZB30
海外輸出向けZB機関銃。銃身を短縮化し、ガスパイプを備えた。
MG26(t)
ドイツ国防軍のチェコスロバキア占領の際に鹵獲されたZB機関銃のドイツ側呼称。
MG146(j)
ドイツ国防軍のユーゴスラビア占領(ユーゴスラビア侵攻)の際に鹵獲されたZB機関銃のドイツ側呼称。
Vz.52
ZB26を改修した最終前期生産型で7.62x45mm vz.52弾と7.62x39mm弾を使用する。
UK Vz59
ZB26を改修した最終後期生産型。7.62x54mmR弾を使用する。(7.62x51mm NATO弾を使用するものも有る。)一部の部品を付け替えることにより、各種用途の機関銃として使用出来るベルト給弾式汎用機関銃である。
この他にもZB26軽機関銃の優秀性からライセンス生産を行った国も多い(中華民国やイギリスのブレン軽機関銃など)。 1926年から生産されたZB26軽機関銃はその後順調に他国への輸出を伸ばし、輸出先の国々で高評価を得た。制式採用した国はルーマニア、リトアニア、ユーゴスラビアであり、ユーゴスラビアでは国産化も行われた。 イギリスはZB30を原型としてブレン軽機関銃を開発採用した。ブレン軽機関銃は第二次世界大戦中に援助兵器としてソ連にも供給された。もっとも弾薬規格が.303ブリティッシュ弾のままで、ユニバーサルキャリアに搭載された物を除き前線で使用されることはなかった。 チェコスロバキアがナチス・ドイツに占領されると、ドイツ陸軍でも、MG34の代用として1930年代末から1940年にかけて限定的に使用された。慢性的に兵器不足だった武装親衛隊では、一部のエリート部隊を除き、第二次世界大戦中を通じて広範囲に使われている。第二次世界大戦中にドイツから武器供給を受けた独立スロバキア軍、クロアチア独立国軍でも使用された。なお、チェトニクはユーゴスラビア軍の装備していたZB26をそのまま使用していた。 一方アジア方面にも輸出され、特に中華民国にはZB26やZB30軽機関銃が大量に輸出され、その後国産化も行われた。 国府軍に装備されたZB26は、第二次上海事変における“日中双方”の主力軽機として使用される活躍を見せた。 日本陸軍の十一年式軽機関銃が弱装の6.5 mm×50SR弾薬(三八式実包・2,615 J)を使用していたのに対し、ZB26は威力や射程で勝る7.92 mm×57弾薬(3,600?4,100 J)を使用していた。
他国での使用