ブルーノート・レコード
Blue Note Records
略称BN、BNR
本社所在地 アメリカ合衆国
90028
カリフォルニア州ロサンゼルス・バインストリート1750[注釈 1]
設立1939年
業種情報・通信業
事業内容音楽・映像ソフト制作及び販売、音楽著作権管理、原盤制作ほか
代表者ドン・ウォズ(2012年 - )
主要株主キャピトル・レコード
関係する人物アルフレッド・ライオン
(創設者/プロデューサー)
フランシス・ウルフ
(プロデューサー)
ルディ・ヴァン・ゲルダー(レコーディング・エンジニア)
リード・マイルス
(グラフィックデザイナー)
アイク・ケベック
(ミュージシャン/A&R)
デューク・ピアソン
(ミュージシャン/A&R)
外部リンクbluenote.com
ブルーノート・レコード(Blue Note Records)は、ドイツ出身のアルフレッド・ライオンによって、1939年にニューヨークで創設されたジャズ専門のレコード会社。ジャズ界屈指の名門レーベルであり、その存在はジャズ・シーンに多大な影響を与えた。
概要親密げにハンク・モブレーの肩を持つアルフレッド・ライオン。黒人への人種差別が公然と行われていた時代の中、ライオンはアーティストに対して尊敬の念を持って対応した。
アーティストや楽曲への深い情熱、独自の録音方法、洗練されたジャケット・デザインなど、作品に一貫した理念を持ち、商業性に拘らず少人数のスタッフで優れた作品を数多く発表した。
第一期のブルーノートは、戦前の1939年から戦後の1979年まで、一度は倒産を経験しながらも存続した。その後、数年間の休止を挟み、1985年より新生ブルーノートとして復活し、現在に至る。
創設時より長年、ニューヨークを拠点に活動し、1950年代から1960年代のジャズ黄金期を支えた。中でもハード・バップにおいては、ブルーノート一強とも言えるほど存在感を放っていた。時にボーカリストや白人ジャズメンの入る余地すら与えない硬派な一面を見せ、そのブランドを確立させた。1970年代以降は、拠点をロサンゼルスとニューヨークで行き来するようになり、2000年代以降は、ロサンゼルスにある親会社、キャピトル・レコードを中心として、幅広い音楽性が発信されている。
長年EMI傘下であったが、M&Aにともなう親会社キャピトル・レコードの買収により、現在はユニバーサル ミュージック グループの傘下となっている。日本における現在の販売元は、ユニバーサル ミュージック ジャパン。 音階である「ブルー・ノート・スケール」から命名された。ブルー・ノートは、本来はジャズのほか、ブルースやロックなどでも使用される音階であるが、同レーベルの影響によってジャズのイメージが強くなり、同名のジャズクラブ・喫茶が各国で開店するに至った。いずれも同レーベルと直接的な関係はないが、多大なインスピレーションを与えた。最も有名なところに、ニューヨークを本店としてチェーン展開している『ブルーノート・ジャズクラブ』があり、こちらは現在では名門ジャズクラブの一つとして位置付けられている。
名称
歴史「アルフレッド・ライオン#バイオグラフィ」も参照セロニアス・モンクアート・ブレイキーリー・モーガンウェイン・ショーターロバート・グラスパー黒田卓也
1940年には、アルフレッド・ライオンのドイツ時代からの親友で写真家のフランシス・ウルフがアメリカに移ってくる。翌年、ライオンが徴兵されるもウルフによりブルーノートは守られた。
戦後、ライオンとウルフは、プロデュース=ライオン、経理とジャケット写真撮影=ウルフの分担で共にブルーノートの運営を行った。1940年代のビバップの勃興に際しては早くからその本質を理解し、レコーディングを行っている。
1951年に発表されたセロニアス・モンクのアルバム『ジニアス・オブ・モダン・ミュージック Vol.1』を皮切りに、本格的にモダン・ジャズ路線へと舵を切った。その後も時代毎の優れたミュージシャンの演奏を多く録音し、モダン・ジャズ界の有名レーベルになった。ジャズはアルバムで聴くものという印象が強いが、ブルーノートは45回転シングルも、かなり発表している。また、ジミー・スミス、ベイビー・フェイス・ウィレットらのオルガン・ジャズ奏者のアルバムも発表した。彼らのジャズは、ソウル・ジャズと呼ばれた。
1950年代中期からは、芸術家ギル・メレの紹介によって得たレコーディング・エンジニアのルディ・ヴァン・ゲルダーの手を介した録音[注釈 2]、新進デザイナーのリード・マイルスが手がけた斬新なレコードジャケットを得、1960年代中期までの最盛期に、後世に残る傑作アルバムを数多く送り出した。なおこの時代のジャケットには、若き日のアンディ・ウォーホルが数作参加している。
1953年から1959年までブルーノートは、ニュージャージー州ハッケンサックのルディ・ヴァン・ゲルダーの実家の居間で録音した。
アルフレッド・ライオンが手がけたレコードのシリーズは世界的に有名であり、マイルス・デイヴィス、アート・ブレイキー、ホレス・シルヴァー、ジミー・スミス[2]、ジョン・コルトレーン[注釈 3]など、多くの著名な演奏家による演奏が記録されている。なかでも2つの傑作シリーズは特に有名で、生産されたレコードの番号から1500番台および4000番台と言われている。1500番台は1956年にスタートしたもので98タイトルがあり、1553番と1592番は欠番だった。