ブルース・ペレンズ
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ブルース・ペレンズ
Bruce Perens
ブルース・ペレンズ(2009年)
生誕1958年[1]
国籍 アメリカ合衆国
配偶者ヴァレリー・ペレンズ
子供スタンリー・ペレンズ
業績
設計Open Source InitiativeBusyBox
2005年チュニスで開催された、世界情報社会サミットの中で、「フリー/オープンソースソフトウェアが答えか?」というスピーチを行うペレンズ。ペレンズから見て右隣はリチャード・ストールマン

ブルース・ペレンズ(英語: Bruce Perens)は、コンピュータプログラマオープンソースコミュニティにおける中心的人物の一人である。Debianプロジェクトの設立者、Open Source Initiative(OSI)の創設者、そしてLinux Standard Base(LSB)プロジェクトの設立メンバーの1人で、当初代表を務めていた。オープンソースの定義を起草し、オープンソースと言う語をはじめて公式に発表した人物である[2][3]エリック・レイモンドとともに共同でOpen Source Initiativeを立ち上げた[4]

2003年11月10日にはDesktop Linux Consortium(DLC)にて、Debian GNU/Linuxをベースとする企業向けデスクトップLinuxシステムをコミュニティベースで開発するプロジェクトgnUserLinux(後のUserLinux)を発表している。これは当初、Lindowsへの対抗の意味合いも含まれていた[5]。ただし、DLC、UserLinuxともに2011年時点で公式ウェブサイトや電子メーリングリストが停止しており、現状両組織の実態については不明である。

2005年、ペレンズは、国際連合開発計画の招待により、世界情報社会サミットにオープンソース部門代表として参加した。彼は各国の代表者を前に証言を行い、後に各報道機関が伝えているが、オープンソースのために国家的・国際的な技術政策の見直しを主張した。

また、ペレンズはコールサインK6BPを持つハムである。彼は、オープンな無線ラジオ通信の標準化に向けて努力しているアマチュア無線コミュニティでもよく知られた人物である[要出典]。
立場

リチャード・ストールマンフリーソフトウェア哲学を、自由よりも利益を重視するビジネス界の人々に広めるマーケティングの手段として、オープンソースを推進する立場に立つ。また、オープンソースとフリーソフトウェアは、同じ事象を2つの言葉で言い換えているに過ぎないと主張する(このことから、後に両者を同一視する立場のFLOSSという用語も生まれている)。これはストールマンの考え方[6][7]やレイモンドの考え方とは異なっている。ペレンズは、自身の論文、"The Emerging Economic Paradigm of Open Source"(「オープンソースという経済学的パラダイムの誕生」)と演説(スピーチ)、Innovation Goes Public(技術革新の公開化)[8]において、オープンソースのビジネスにおける利用を目的とした、経済学的な理論を打ち立てている。この考えは、『伽藍とバザール』におけるレイモンドの考えとは異なっている。『伽藍とバザール』が書かれたのは、ペレンズが発表した文書とは異なり、オープンソースにおけるビジネスの関与がまださほどなかった時代である。そしてレイモンドはオープンソースをプログラマの動機と余暇の結果とみなしていた。
組織

ペレンズは、元Debianプロジェクトのリーダー(Debian Project Leader; DPL)、Software in the Public Interest(SPI)創設者、Linux Standard Base(LSB)プロジェクト創設者そして最初のプロジェクトリーダー、BusyBoxソフトウェアの原著作者、UserLinuxプロジェクトの創設者である。ペレンズは、ピアソンエデュケーション(Pearson Education)社のインプリントである、Prentice Hall PTRにてBruce Perens' Open Source Seriesと呼ばれる書籍のシリーズを刊行している。彼は熱心なアマチュア無線愛好家である(コールサイン K6BP[9])。また、technocrat.netというウェブサイトを管理していた(しかし、収益で運営費用を賄えなくなったため、2008年後半に閉鎖した)。彼はまた、No Code International[10]という組織の創設に携わっている。この組織はアマチュア無線免許の取得にモールス符号の習熟を不要とする立場からその排除を第一の目的に掲げている。この目標は、国際条約国際電気通信連合条約規定S25.5)からのモールス符号習熟の削除と、2007年2月23日から導入された「モールス符号なしの」新しい規定[10]ならびにほぼすべての各国の新条約批准、国内法変更が完了した現在においては、達成されたといえる[要出典]。

ペレンズは、OSIの共同設立から1年後、"It's Time to Talk About Free Software Again"(再びフリーソフトウェアについて語るときが来た)との題名からなる電子メールをdebian-develメーリングリストに発表し、OSIから去った[11][12]2008年2月、この年、オープンソースという用語の誕生10年を記念し、"State of Open Source Message: A New Decade For Open Source(オープンソースへのメッセージ表明: オープンソースの新たなる10年)というコミュニティへのメッセージを発表した[13]。オープンソース10周年を記念する同じイベントにおいて、電子雑誌のRegDeveloper誌は、ペレンズに関するインタビューを公開している。その内容は、オープンソースの過去、未来、また「危険性」とりわけOSIが承認済みライセンスを野放図に増やすことへの危険性やGPLバージョン3の強化についての最新の意見を述べている[14]。更に、インタビューではLinuxカーネルのGPLバージョン3への移行を拒否したリーナス・トーバルズについての意見も述べている[15]

彼は、2005年6月から2007年12月までSourceLabsに勤めていた[16][17]。現在彼は、 KilobootのCEOである。
「オープンソースの定義」の起草

オープンソースの定義は、ペレンズにより、Debian社会契約(Debian Social Contract)の一部である、Debianフリーソフトウェアガイドライン(Debian Free Software Guidelines; DFSG)を元にして作成された。ペレンズは1997年6月上旬、debian-privateメーリングリスト[18]にて、Debian社会契約の草稿をDebian開発者に提案した。Debian開発者は議論を行い、1ヶ月間に渡って修正を加え、最終的には完全な文書がペレンズによりDebianプロジェクトの方針として公表された。1998年2月3日、(ペレンズはこの会合のメンバーには含まれてはいないが)一部の人間がVA Linux Systems社にて会合をもち、フリーソフトウェアと言う用語をリチャード・ストールマンが提起する道義的な側面よりもむしろ実利的側面を用いてビジネス界に浸透させようとするための会談がもたれた。ナノテクノロジーを業務とする研究所Foresight Institute(英語版)所属のクリスティン・ペターソン(Christine Peterson)は、Foresightがフリーソフトウェア誕生の初期のころから興味を持っていたため、この会合に参加していたが、彼はこの場において、Open Source(オープンソース)という新たな用語を提案した[4]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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