ブルース・ナウマン(Bruce Nauman、1941年12月6日 - )は、アメリカ合衆国の現代美術家である。各種メディアを駆使した芸術活動で知られる。作品のジャンルは、彫刻、写真、パフォーマンスアート、ビデオアート、インスタレーションなどにわたり、きわめて多様である。 1941年、日本軍による真珠湾攻撃の前日、インディアナ州フォートウェイン市に生まれる。幼少期は、父の転勤のたびにアメリカ中部の田舎を転々とする。ナウマン自身は自分の幼年期について、「故郷といえるような懐かしさを覚える場所が無い」と回想している[要出典]。 ミルウォーキーの高校時代(1957年-1960年)には、学校のオーケストラでベースギターを演奏していた。クラシック、バルトーク・ベーラなどの近代音楽、フォークソングなどを幅広く好んでいた。1960年からウィスコンシン大学で数学と物理学を2年間専攻する。1962年の秋から専攻を美術に変更し、その後2年間は絵画を学ぶ。この頃は、半抽象的な油絵(リチャード・ディーベンコーン風の風景画)を描いていた。1964年、ウィスコンシン大学マディソン校で理学士号を取得[1]後は、カリフォルニア大学デービス校で美術を学ぶ。1965年以降、絵画製作から離れ、立体作品を手がけるようになる[2]。サンフランシスコにあるアンナ・ハルプリンのダンス・シアター・ワークショップに参加していた[2]。この時期に実験的な映画を友人と撮影している。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、ウラジミール・ナボコフの小説、サミュエル・ベケットの戯曲などを愛読。ジョン・コルトレーンのジャズ、スティーヴ・ライヒ、テリー・ライリーなどのミニマル音楽にも傾倒する。 1966年、デーヴィス校で修士号を取得後[1]、サンフランシスコへ移住。元雑貨店だった家屋に自分のスタジオを持つ。このスタジオで2年足らずのうちに、多くの初期の傑作を生み出した。同年、ロサンゼルスで初個展[1]。サンフランシスコ美術大学 1979年、ニューメキシコ州に移住後、1981年に西ドイツなどで、さらには1986年、オランダなどで回顧展が催される。1992年、カッセル・ドクメンタにビデオ作品で参加。1993年にウルフ賞芸術部門にてウルフ賞を、1994年にはウェクスナー賞 ヴィトゲンシュタイン後期の思想に刺激を受けている。『哲学探究』で語られる言語ゲームからの影響が、ナウマンの言葉遊びの作品などに顕著に見られる。ラ・モンテ・ヤングの前衛音楽(とくに始まりと終わりのない音楽というアイデア)やジョン・ケージの芸術思想にも影響を受けている。 「真のアーティストは、神秘的な真実をあかすことで世界を救う」と書かれたネオンサイン。 サミュエル・ベケットの『モロイ』(1951年)に登場する人物の歩行の描写をモチーフにした1時間のビデオ作品。観客が作品を最初から最後まで集中して見るのではなく、彫刻のようにギャラリーで一時的に見て、定期的に戻ってくることを意図して制作された[2]。 ビデオ作品。拷問されている道化師が「ノー」と叫び続ける。道化師が、子供の退屈なジョークを話し続ける。金魚鉢を手に持って、落とさないようにする道化師。公衆トイレに座る道化師など。 監視カメラを使用した閉鎖回路インスタレーション
来歴
幼年時代
高校から大学時代
大学卒業後
ニューメキシコ移住後
作品と作風
代表的な作品
《The True Artist Helps the World by Revealing Mystic Truths》(1967年)
《Slow Angle Walk (Beckett Walk)》(1968年)
「100生きて死ね」 1984年(ベネッセハウス蔵)
《Clown Torture》
参考文献
Janet Kraynak (Editor), Please Pay Attention Please: Bruce Nauman's Words : Writings and Interviews, MIT Press, 2003 and 2005 (Paperback edition). ISBN 0262640600
Emma Dexter, Bruce Nauman. Raw Materials, Tate, 2005. ISBN 1854375598
脚注[脚注の使い方]
注釈
出典^ a b c d e f g h speronewestwater
^ a b c The Metropolitan Museum of Art