ブルース・スーター
Bruce Sutterカージナルス時代のスーター
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州ランカスター
生年月日 (1953-01-08) 1953年1月8日
没年月日 (2022-10-13) 2022年10月13日(69歳没)
身長
体重6' 2" =約188 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1971年
初出場1976年5月9日
最終出場1988年9月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
オールド・ドミニオン大学
シカゴ・カブス (1976 - 1980)
セントルイス・カージナルス (1981 - 1984)
アトランタ・ブレーブス (1985 - 1986, 1988)
アメリカ野球殿堂 殿堂表彰者
選出年2006年
得票率76.90%
選出方法BBWAA[:en]選出
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ハワード・ブルース・スーター(Howard Bruce Sutter, 1953年1月8日 - 2022年10月13日)アメリカ合衆国ペンシルベニア州ランカスター出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
現役時代は、ローリー・フィンガーズ、ダン・クイゼンベリーと共に、MLBにおけるクローザーの草分け的存在として活躍、通算300セーブを記録した。2006年、アメリカ野球殿堂入りを果たした[1]。スプリットフィンガー・ファストボールを世に最初に広めたとされる[2]。
メディアによっては苗字を「スッター」と記すことがある。 スーターは1953年1月8日にペンシルベニア州ランカスターにて農業団体の支部長を務めるハワード・スーターの五男として生まれる。1970年、ランカスター近郊のマウントジョイ 1976年5月にカブスに昇格しメジャーデビュー。当時まだ一般的でなかったスプリットフィンガー・ファストボール(SFF)を駆使し、抑えとして活躍。1979年自身初のセーブ王に輝き、サイ・ヤング賞を受賞。1980年オフにセントルイス・カージナルスへトレードされ、1982年ワールドシリーズ第7戦を締めくくり、カージナルス15年ぶりの世界一に貢献した。1984年にはフリーエージェントを行使して、当時のレートで「4年契約24億円」という、当時としては破格の契約でアトランタ・ブレーブスへ移籍したが、SFFのリスクともいえる肩の故障を招いて以後、成績は下降、1988年に35歳で引退した。 2006年に資格取得後13年目でようやくアメリカ野球殿堂入りを果たした。リリーフ投手としては4人目、先発経験のない投手としては史上初の殿堂入りで、通算5回のセーブ王獲得はナショナルリーグ最多であり、当時のファイアマン(抑え投手)は9回のみの登板が主流のクローザーとは異なり、8回から登板することも珍しくなく、長いイニングを投げ抜いた。スーターも100イニング以上登板は5回記録しており、この時代を代表する抑え投手だった。 殿堂入りを記念し、スーターのカージナルス在籍時の背番号『42』が同2006年に永久欠番に指定されるが、既にジャッキー・ロビンソンの永久欠番(1997年)となっており、既に永久欠番である背番号の追加指定はモントリオール・エクスポズのラスティ・スタウブとアンドレ・ドーソンの例以来2組目となった。 2022年10月13日、ジョージア州で死去[3]。69歳没。 年
経歴
出生からプロ入りまで
メジャーリーガー時代
引退後・殿堂入りについてスーターのカージナルス在籍時の背番号「42」。
セントルイス・カージナルスの永久欠番に2006年指定。2008年MLBオールスターゲームのパレードのスーター
死去
詳細情報
年度別投手成績
度球
団登
板先
発完
投完
封無
四
球勝
利敗
戦セ
h
ブホ
h
ル
ド勝
率打
者投
球
回被
安
打被
本
塁
打与
四
球敬
遠与
死
球奪
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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