ブル・リング
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The BullringBullring Shopping Centre, Birmingham
所在地 イングランド
バーミンガム
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯52度28分39.72秒 西経1度53分39.04秒 / 北緯52.4777000度 西経1.8941778度 / 52.4777000; -1.8941778座標: 北緯52度28分39.72秒 西経1度53分39.04秒 / 北緯52.4777000度 西経1.8941778度 / 52.4777000; -1.8941778
開業2003年9月4日
開発業者The Birmingham Alliance
施設管理者Tim Walley
設計Benoy
テナント数160+[1]
中核店舗数2 (セルフリッジズ, デベナムズ[2][3])
総賃貸面積125,300平方メートル (1,349,000 sq ft)[4]
階数4 (3 accessible from outside)
駐車台数3,100
ウェブサイト ⇒http://www.bullring.co.uk/

ブル・リング(英語: Bull Ring)は、イングランドバーミンガムにある商業区域。初めて市場が開かれた中世より、バーミンガムにおける重要な地区となった。一帯は最初に1960年代、そして2000年代と2度もショッピングセンターへの開発が行われている。

場所はディグベス(英語版)地区に向かう急勾配へと続く、砂岩が隆起した街の外れに位置している。坂はニュー・ストリート(英語版)からセント・マーティン教会まで、およそ15メートルの高低差がある[5]
歴史ブル・リング内部

地方の地主バーミンガムのピーター (Peter de Bermingham) が、ヘンリー2世から市場活動の特権を得た1154年、市場は正式に開かれた。当初、この地域では織物の貿易が発展し、市場は1232年に書かれた公文書の中に初めて言及された。この中では、ある商人がバーミンガムのウィリアム (William de Bermingham) のビジネスパートナーとして描かれ、織工、加治屋、仕立て屋、調達業者の4つの所有者であることが書かれていた。その7年後、もう一つの文書には、この区域の服地屋に関する記述があった。それから10年もしないうちに、この地区は大きな市場街へと成長し、大規模な布地貿易が確立したのである。

その後区域の一つを指す「マーサー・ストリート (Mercer Street) 」という名が、1553年の「バーミンガム報告書」の中で初めて挙げられた。これはこの地域における布地の商取引が卓越していた結果である。1500年代と1600年代、このマーサー・ストリートは急激な発展を遂げ、次第に窮屈な場所となった。また、マーサー・ストリートはその後1700年代初頭に「スパイサー・ストリート (Spicer Street) 」として知られるようになり、18世紀終わりごろには「スパイシアル・ストリート (Special Street) 」として発展した。この名称になったのは、布地の商取引に代わり、食料雑貨類や肉類の取引が拡大し始めたためである。地域は混雑し窮屈になるばかりであったにもかかわらず、通りに面した家の多くは庭がついていたことが、1798年の不動産広告から窺える。家々はセント・マーティン教会に近接して建設され、最終的に教会を取り囲む格好となる。これらは「ランダバウト(環状の)・ハウス」として知られるようになった[6]セルフリッジズ・ストア。フューチャー・システムズ(英語版)による近代的な建物である。

1731年に発行された地図上では、ハイ・ストリートの近くにあった他の市場と共に、食品や畜牛・トウモロコシ等を含む他の市場も、近隣で発展していた。このトウモロコシ市場は、1848年にカーズ・レーン (Carrs Lane) のトウモロコシ商品取引所へ移動された。街が近代的な産業街へと成長した頃、ブル・リングはバーミンガムにおいて主要な小売市場区域へと発達していった。

建築学的な記録を持ち、街で一般の集会に使用された最初期の建造物は、ブル・リング内に建つ「ハイ・クロス」という建物である。これは、知られている中で最後の建設工事が終了したのが1703年で、1784年に破壊されたことがわかっている。この建物はウェルチ・クロス (Welch Cross) から分離したという点から、「オールド・クロス」としても知られた。これと同時に、この建物のアーチ門の下で、農婦が日々とれた作物を販売していたことから、「バター・クロス」という愛称があったことも分かっている[6]

また、バーミンガムの政治史において起こった一連の出来事からは、区域一帯が1830年代から1840年代まで、労働者階級のリーダー達によるデモやスピーチのための集会が行われる場所となったのが分かる。

1839年、ブル・リングは大規模な蛮行や不動産等の破壊行為が行われる結果となった「ブル・リング暴動」の地となる。自治体がこの暴動を防ぐまたは制圧することが出来なかったことから、街の住人を恐怖感へと駆り立てることになり、また自治体が無法状態に寛容なのではないかと推測される事態まで導いた[7]

近傍各地の定期市で乱暴な振る舞いが目撃されていたため、バーミンガムの中心部で定期市が開催される場所は、1861年に、スミスフィールド、ディグベスと、ブル・リングだけに限られた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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