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旧ブルマァク本社ビル
株式会社 ブルマァクは、かつて東京都台東区西浅草(1971年頃は、同区寿)に本社を置いていた、日本の玩具メーカーである。
当社のロゴマークは雄牛を象ったものであり、同社の各怪獣人形の足裏には、必ず「雄牛の刻印」(ブルマァク)がなされており、真贋の目安になった。この「ブルマァク」のブランド名(名称「ロゴ」)は、創業者の一人である?(いしずき)三郎が現在も所有している。?は2008年、東京都文京区小日向に「株式会社 ブルマァク(新社)」を設立し、事業を再開。2009年より、ブルマァクグッズの通信販売のみながらも業務を行っている。 1969年4月4日、前年に倒産したマルサン商店[注 1]の社長だった石田實の甥・石田幸太郎と?三郎、柴田豊の元マルサン社員3人が共同出資し、設立。?は1966年に円谷特技プロダクション(現:円谷プロダクション)の『ウルトラQ』(TBS) が放映開始された際に同作品の怪獣のソフビ人形を企画し、「怪獣ブーム」の仕掛け人となった人物である。 「ブルマァク」の社名については、3人の合議の末に「力強いイメージを」として「ブル」の単語を選び、ここから「ブルマーク」となった。さらには、マルサン時代から世話になっている中国占師に指導を仰ぎ、画数を変えて「ブルマァク」とし、これを決定名とした。 創業時は「怪獣ブーム」も過ぎ去った中で、マルサンの怪獣人形は見切り品となって投げ売りされていた。この状況からの「キャラクター物は怖い」との判断で、当初は手堅く電車や自動車などのブリキ製の乗り物の玩具(ティン・トイ)を製造販売していた。ところがまもなく『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の再放送が開始されると、?の甥たちがこれに熱中し、マルサンのウルトラ怪獣のソフビ人形での遊びに夢中になり始めた。さらにリサーチを行うと、子供たちの多くが怪獣人形で遊んでいるという結果が出た。これを商機ありと捉えた?は、この年の夏からマルサン時代の「ウルトラ怪獣」のソフトビニール人形を再び販売し始めた。 当時、マルサン時代の金型は、取引先工場に債務代わりとして差し押さえられていた。?はこれらを整備し、12種類ほどの怪獣人形の再生産の手はずを整えた。さっそく円谷プロと商品化契約を結び、マルサン時代の金型を使ってソフビ人形を再発売し始めたが、「マルサン」からの引き継ぎ商品ということもあり、販売開始からしばらくは売れ行きはあまり良くなかったという。しかし、やがて問屋からの反響が大きくなって計画的な出荷も奏功し、大量注文が寄せられるようになった。 1970年(昭和45年)9月28日から、円谷プロがTBSで『ウルトラファイト』を放送開始すると、さらに売り上げは伸びた。?らは『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』が再放送されている地域に営業出張し、積極的に販路を拡げた。 ?の発案によって、商品の袋に新聞紙一面サイズの写真カタログ式チラシを封入したところ、「非常にわかりやすい」と、孫から頼まれて玩具店にやってくるお年寄りのみならず、問屋からも好評を受けたという。また、玩具店店頭でキャンペーンも行い、等身大の「ジラース」や「エレキング」の怪獣人形を設置し、『ウルトラファイト』の番組宣伝や雑誌での特集企画なども行い、「怪獣ブーム」再来の手応えを得た。 ?らのこうした地道な販路拡大と、独自の消費者リサーチは、円谷プロやTBSへの新しい「ウルトラシリーズ」企画の依頼へと発展。?は、前シリーズのスポンサーだった武田薬品工業にもこのプレゼンテーションを行ったという。 1971年(昭和46年)春、?らの働きかけに、対する円谷プロ、TBSも『ウルトラマン』の新シリーズ企画に意欲を見せ、双方の思惑が一致する形でついに新番組『帰ってきたウルトラマン』が放送開始。円谷プロではこの『帰ってきたウルトラマン』放送開始を前に、円谷皐によって「営業部」が新設され、版権業務を直接行う体制を整えた。ブルマァクとしても、主戦商品として同番組のキャラクター人形を積極的にリリース。ソフビ人形、ブリキ人形、プラモデル、ゲーム、プラスチック玩具、ダイキャスト合金玩具等々、品目も多岐にわたり、同社最大数の商品リリースとなって、当時空前の『変身・怪獣ブーム』の火付け役を担った。
概略
帰ってきたウルトラマンと変身、怪獣ブーム