ブルガリアの国章
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ブルガリアの国章

詳細
使用者 ブルガリア
採用1997年
クレスト第2次ブルガリア帝国の冠
Gules, a lion rampant Or
サポーターTwo lions rampant Or crowned Or
コンパートメントTwo crossed oak branches with fruits
モットーブルガリア語: Съединението прави силата
「団結は力なり」

ブルガリア国章(ブルガリアのこくしょう)は1997年に採用されている。この国章は、共産主義政権による統治が終わった1990年代初頭から使われ始めていた。当時、国章に何を取り入れるかということについて、ブルガリア政府内では大きな論争があった。

紋章には、ライオンが描かれたサポーターとして支えている二匹のライオンが描かれている。盾の上にあるのは、ブルガリアの皇帝イヴァン・アセン2世である。盾の下には国の標語『団結は強さを生み出す』がブルガリア語で書かれている。ライオンの足元にあるコンパートメントは、緑の葉と黄色い実をつけた、二本の交差したオークの枝である。

三匹のライオンはそれぞれ、歴史的にも重要な地域である、トラキアモエシアマケドニアを象徴している。ライオンは、ソビエト連邦の国章の影響が強かった共産主義時代にも、ブルガリアの国章の中に取り入れられていた。
過去の国章
ブルガリア公国及びブルガリア王国時代の国章


ブルガリア公国の国章。

ブルガリア公国の国章。1927年までブルガリア王国の国章でもあった。

1927年に制定されたブルガリア王国の国章。

ブルガリア人民共和国時代の国章


1946年に制定された国章。王国時代の国章から冠が除去されている。

1948年に暫定的に制定された国章。

1948年から1968年までの国章。

1968年から1971年までの国章。

1971年から1990年の共産主義体制終焉までの国章。

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ブルガリアの国章に関連するカテゴリがあります。

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