『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』
ボブ・ディラン の スタジオ・アルバム
リリース 1965年3月22日
1965年3月
録音1965年1月13日-15日
アメリカ・ニューヨーク市
コロムビア・レコーディング・スタジオ
ジャンルフォーク、フォーク・ロック、ロック
時間47分23秒
レーベルコロムビア
プロデューストム・ウィルソン
専門評論家によるレビュー
Allmusic link
アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン
(1964年)ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム
(1965年)追憶のハイウェイ61
(1965年)
『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』収録のシングル
「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」
リリース: 1965年
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『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』(英: Bringing It All Back Home)は、ボブ・ディランが1965年に発表した5作目のスタジオ・アルバム。
ビルボード・トップ LP's チャートで最高6位を記録し、ディランのアルバムで初めてトップ10入りした。その年の春には全英アルバム・チャートで1位を記録した。RIAAによりプラチナ・ディスクに認定されている。
『ローリング・ストーン』誌が選んだ「オールタイム・グレイテスト・アルバム500」(2012年版)において31位にランクインした[1]。 ディランが初めてエレクトリック・バンドをバックにつけるようになったアルバムで、しばしば最初の「フォーク・ロック」アルバムと見なされる。これについては諸説があり、前年に発表されたアニマルズの「朝日のあたる家」を最初のフォーク・ロックとする説もある。アンソニー・スカデュトの『ボブ・ディラン』(小林宏明訳・二見書房)によると、ディランもこれに刺激を受けたと言う発言をしている。但し、伝承曲のカバーでなく完全なオリジナルのフォーク・ロックを創造したという点ではディランが最初である。 A面はエレクトリック・バンド、B面はアコースティックを主体とした曲で構成されている。シングル・カットされた「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」は、ディラン自身のシングルで初めてチャート入りし、39位を記録した。同曲の「You don't need a weather man to know which way the wind blows(風向きを知るのに予報官は要らない)」や、「シー・ビロングズ・トゥ・ミー」の「Don't look back」という一節は若い世代のスローガンとなり、後者は1967年に制作されたドキュメンタリー映画『ドント・ルック・バック』のタイトルとなった。 「ミスター・タンブリン・マン」は、バーズによってシングルとしてリリースされ、ディランの曲として初めてビルボード・チャートで1位を記録した(ピーター、ポール&マリーの「風に吹かれて」は最高2位)。 「イッツ・オールライト・マ」は1974年のツアー(『偉大なる復活』収録)で歌われたとき、ちょうどウォーターゲート事件が問題になっていたため、「But even the president of the United States sometimes must have to stand naked(アメリカ大統領でさえ、時には裸で立たなくてはならない)」という一節が喝采を浴びた。また、「マギーズ・ファーム」は1980年にイギリスのブルース・バンド
解説