ブリュンヒルデ
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この項目では、北欧・ゲルマン圏の伝承の登場人物について説明しています。

ワーグナーの楽劇の登場人物(ブリュンヒルデ)については「ニーベルングの指環」をご覧ください。

その他の用法については「ブリュンヒルデ (曖昧さ回避)」をご覧ください。

ブリュンヒルド(ガストン・ビュシエール、1897年)

ブリュンヒルド(古ノルド語: Brynhildr、中高ドイツ語: Brunhilt、ドイツ語: BrunhildないしBrunhilde、英語: Brunhild、ブリュンヒルト、ブリュンヒルデとも)は、ゲルマンの英雄譚(ドイツ語版)に登場する女性である。実在した西ゴート王女ブルンヒルドを原型としていると考えられている。

北欧の伝承においては、ブリュンヒルドは盾乙女ないしヴァルキュリャとして登場する。『エッダ』『古エッダ』そして『ヴォルスンガ・サガ』には、彼女を主要人物とする同一のエピソードが含まれている。一方、大陸ゲルマン圏では、『ニーベルンゲンの歌』の中心人物として、力強いアマゾネスの如き女王として描かれる。いずれにおいても、ブルグントの王グンナル(グンテル)と結婚させられた後にシグルズジークフリート)に死をもたらす役割を担う。シグルズの妻グズルーン(クリームヒルト)との口論が、シグルズへの殺意の直接の原因となる。北欧の伝承では、ブリュンヒルドはシグルズを殺した後に自害するが、大陸ゲルマンの伝承ではしない。

リヒャルト・ワーグナーは、楽劇ニーベルングの指環』の重要なキャラクターとしてブリュンヒルデ(Brunnhilde)を登場させた。現代のブリュンヒルドのイメージの多くは、この作品の影響を強く受けている。
語源

ブリュンヒルドの名は、古高ドイツ語で言えばbrunia(鎧)とhiltia(争い)の2語からなり、他の言語においても同様である[1]。この名が最初に確認できるのは、実在した女王ブルンヒルドのものである[2]

英雄譚の文脈でいえば、名前の前半の要素は、ブリュンヒルドの盾乙女としての役割と結びついていると考えられる[3]

『古エッダ』における『ブリュンヒルドの冥府への旅』および『シグルドリーヴァの言葉』では、シグルドリーヴァと呼ばれるヴァルキュリャがブリュンヒルドと同一の存在とされている。シグルドリーヴァ(sigrdrifa)は、「勝利をもたらすもの」の意であり、ヴァルキュリャの同義語である[4]
原型

伝説上のブリュンヒルドのモデルとして、メロヴィング朝期に実在した2人の人物が有力視されている。一人が、フランク王シギベルト1世に嫁いだ西ゴート王女ブルンヒルドであり、もう一人が、シギベルトの弟キルペリク1世に嫁いだフレデグンドである。フランクの歴史家トゥールのグレゴリウスは、575年のシギベルト1世暗殺の責をフレデグンドに帰している。フレデグンドとブルンヒルドの確執は、613年にブルンヒルドがキルペリク1世の子クロタール2世によって処刑されるまで続いたとされる[5]。この解釈が正しければ、『ニーベルンゲンの歌』におけるブリュンヒルトは、ブルンヒルドの名前を持ちつつフレデグンドの役割を与えられていることになる[5][6]

別の説として、東ゴート軍指揮官ヴライアスの物語を取り上げるものがあるが、有力ではない。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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