国歌Б?гэдэ Найрамдаха Буряад Уласай дуулал
ブリヤート共和国国歌
公用語ロシア語、ブリヤート語
首府ウラン・ウデ
首長アレクセイ・ツィデノフ
ブリヤート共和国(ブリヤートきょうわこく、ロシア語: Республика Бурятия、ブリヤート語: Буряад Улас)は、ロシア連邦を構成する共和国の一つ。バイカル湖の南東部に位置する。 首都はウラン・ウデ(人口43万4000人[1])。シベリア連邦管区に属していたが、2018年11月に極東連邦管区へ移管された[2]。北はイルクーツク州、東はザバイカリエ地方、南はモンゴル国、西はトゥヴァ共和国と接する。ブリヤート共和国の位置 この地域は、イルクーツク時間帯の標準時を使用している。時差はUTC+8時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+8で夏時間がUTC+9、同年3月から2014年10月までは通年UTC+9であった) 元々はモンゴル系のブリヤート人の居住地であり、伝統的な牧畜などが営まれていた。政治的には1206年にモンゴル帝国のチンギス・ハーンに服属し、以後は各部族が歴代のモンゴル高原の支配者に服属していた。 その後、1917年のロシア革命後には反革命軍がこの地域を制圧し、シベリア出兵により日本が占領した後の1920年には極東共和国の首都がヴェルフネウジンスクに置かれたが、1922年にソビエト政権の支配下に入り、1923年にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内のブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国となった[3]。 第二次世界大戦後、ガラドークに第28収容地区(ラーゲリ)が、ウランウデに第30収容地区が設置されて、シベリア抑留の対象となった日本人捕虜が収容された[4]。 1958年にはブリヤート自治ソビエト社会主義共和国となった。20世紀初頭にはチベット仏教の僧侶が1万人ほどいたとされるが、ソビエトによって宗教活動は抑えられていた[3]。 ソビエト末期の1990年10月8日には主権宣言を行い、1991年5月27日には国名を現在のブリヤート共和国に改称した。同年12月25日のソビエト連邦崩壊後にはロシア連邦共和国の構成体となり、1994年には史上初の民選大統領レオニード・ポタポフが選出された。
概要
標準時
歴史