ブリトニー・スピアーズ
(2013年5月撮影)
基本情報
出生名ブリトニー・ジーン・スピアーズ
生誕
(1981-12-02) 1981年12月2日(42歳)
アメリカ合衆国 ミシシッピ州マコーム
学歴パークレーン・アカデミー
ブリトニー・ジーン・スピアーズ(Britney Jean Spears、1981年12月2日 - )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター[3]、女優[4]。日本での愛称はブリちゃん[5]。1990年代末から2000年代半ばにかけて、アメリカのポップシーンを代表する女性シンガーとして活躍した[6]。身長163cm[7]。2000年代最も売れた女性アーティストとして正式に認定され、これまでにリリースした8枚のオリジナルアルバム中5枚が全米チャート1位を獲得し、全世界トータル・セールス1億枚を誇る。 ミシシッピ州マコームにてイングランド系アメリカ人の両親の間に生まれ、ルイジアナ州ケントウッドで育つ[8][9][10]。妹は女優のジェイミー・リン・スピアーズ。 8歳にしてディズニー・チャンネルの『ミッキーマウス・クラブ』のオーディションに応募するも、「年齢が低すぎる」という理由で落選する。その後、11歳で『ミッキーマウスクラブ』のオーディションに再び応募し、合格。番組にレギュラー出演し、14歳でジャイヴ・レコードと契約する。 16歳でシングル「ベイビー・ワン・モア・タイム」("...Baby One More Time", 1998年10月)でデビュー。同シングルは全世界で915万枚の売り上げを記録し、世界19ヶ国でプラチナム・ディスクを受賞。同名デビュー・アルバム(1999年)はバックストリート・ボーイズで有名なマックス・マーティンや、ホイットニー・ヒューストンを手掛けたエリック・フォスター・ホワイト 2000年5月、2枚目のアルバム『ウップス!…アイ・ディド・イット・アゲイン』("Oops!... I Did It Again")はアメリカで1300万枚、全世界トータル2096万枚の売り上げを記録。先駆けて発売された同名シングルのラジオオンエアは、1週間で155局のプレイ・リストにエントリー。アメリカの最高記録を塗り替えた。 アメリカで650万枚、全世界トータル1200万枚を認定した3枚目のアルバム『ブリトニー』("Britney", 2001年)の頃からセクシー路線に切り替わり、アルバム『イン・ザ・ゾーン』(In The Zone, 2003年)では、完全にイノセントなアイドル性を払拭、セクシーなダンス・ビートをベースにしたサウンドでリスナーを圧倒し、アメリカで430万枚、全世界トータルで800万枚を記録。同アルバムに収録されている曲「エヴリタイム」("Everytime")のミュージックビデオでは自殺未遂、ドラッグといった描写が問題となり、カットされた。その代わり、ブリトニーが頭から血を流し溺れるシーンに変更された。またこの曲は当時付き合っていたジャスティン・ティンバーレイクとの破局を歌ったものとされている。 ブリトニーのミュージック・ビデオ「トキシック」が、イギリスの『テレグラフ』紙の行った「最もセクシーなミュージックビデオ」(The Sexiest Music Video)のランキング1位に選ばれた。 2004年に発売されたベストアルバム『グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ』("Greatest Hits: My Prerogative")はアメリカで230万枚、全世界トータル600万枚を越え、日本でも80万枚を超えるなど世界中で大ヒット。 2005年、ブリトニーが制作していた『オリジナル・ドール』の発売が禁止にされた。原因として有力視されているのは、当時制作中だったデモを事務所に無断で放映した事。この事実は、のちに『ブリトニースピアーズの幻のアルバム』と世に知られることになった。アルバム発売の代わりに「B・イン・ザ・ミックス」と「カトリック」が発売される。 2007年初頭より突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり[11]、パパラッチを傘で叩いたりなどの奇行が見られた。
来歴
生い立ち
歌手としての成功
奇行・復帰