ブリテン諸島British Isles 他言語での名称
Eire agus an Bhreatain Mhor (アイルランド語)[1]
Ynysoedd Prydain (ウェールズ語)
Enesow Bretennek (コーンウォール語)
Eileanan Bhreatainn (スコットランド・ゲール語)[2]
Ny h-Ellanyn Goaldagh (マン島語)[3]
Iles Britanniques (フランス語)[4]
2012年のNASAによる衛星画像。シェトランド諸島およびチャンネル諸島は写っていない。
地理
場所北西ヨーロッパ
ブリテン諸島(ブリテンしょとう、英: British Isles)は、ヨーロッパ大陸の北西沖の大西洋上に浮かぶ諸島。グレートブリテン島とアイルランド島の2つの大きな島と、その周囲の大小の島々から成る。イギリス諸島とも呼ばれる[5]。
この諸島の名前は2000年間にもわたって使用されており、ローマの博物学者大プリニウスは「それ自体をアルビオンとよび、その周辺の島々は簡潔に Britanniae (ブリタニエ) とよばれている」と記述している[6]。 これら6000を越える島々の総面積は315,134 km2であり、主な島や島群には以下がある。 古来、島の外からは "Brit-" または "Prit-" で始まる様々なよび方がされ、島の住民は大洋の島という意味の oceani insulae または島々を意味する insularum と呼んでいた。英語が使われるようになってから British Isles と呼ばれるようになった。 古代のブリテン諸島の住人は紀元前5世紀に進入してきた Bruthin または Priteni と称するケルト人であった。古代の地理学者達は住民の集団の名をとりラテン語(例:Bretannae)やギリシャ語(例:Βρηττανων)のような自分達の言語に直し島々を呼んだ。 ストラボンの『地理誌』第4巻ではブリテン島を Prettanikee と綴り、Prettans または Brettans と島々を呼んだ。例えば地理2.1.18, "...οι νοτιωτατοι των Βρηττανων βορηιοτηροι τουτον ηισιν".(Brettans南部のほとんどがこれよりさらに北にある)。これは紀元10年ごろに書かれたものであるが、現存する最古の写本は6世紀のものである。 大プリニウスはラテン語によるこの島々への術語を紀元70年ごろ『博物誌』4.102節で用いた。Albion ipsi nomen fuit, cum Britanniae vocarentur omnes de quibus mox paulo dicemus.(『島々全体』は Britannias と呼ばれる時、アルビオン(Albion)はその名である。)次の4.103節ではグレートブリテン、アイルランドおよびその他の小さな島々といったBritanniasを構成する島々を列挙している。 プトレマイオスはアイルランド (Hibernia) はBritanniaという島々のグループに属するとし、幾分詳しい。プトレマイオスの地理学第2巻1章はヒベルニア、ブリタンニアの島と題が付けられた。 地理に関する早期の現存する考察はほぼ古代の言語に限られている。歴史上の地理学者による英語の "British Isles" は宗教改革以降にのみ見られる。 原住民によるこの島々への最古の集合的な用語の出典は、6世紀のアイルランドの僧侶聖コルンバによるブリテンの人々への伝道活動を記した『聖コルンバ伝
主な島々
グレートブリテン島
アイルランド島
マン島(グレートブリテン島とアイルランド島の間のアイリッシュ海北寄り)
ワイト島(グレートブリテン島南側、英仏海峡内)
シリー諸島(グレートブリテン島南西のコンウォール半島の沖、ケルト海上)
オークニー諸島(スコットランド北側、北大西洋上)
シェトランド諸島(オークニー諸島の北側)
フェア島(オークニー諸島とシェトランド諸島の間)
ヘブリディーズ諸島(スコットランド北西側、北大西洋上)
アングルシー島(ウェールズの北側、アイリッシュ海中央)
ホリー島(アングルシー島西側)
アラン諸島(アイルランド島西側)
ランディ島(ウェールズとコーンウォール半島に挟まれたブリストル海峡内)
チャンネル諸島(フランスのコタンタン半島(別名ノルマンディー半島)西側、英仏海峡内)
ブリテン諸島の名称の由来
古代の地理学者
原住民の典拠
他の原住民の典拠は8世紀に書かれたベダの Historia ecclesiastica gentis Anglorum にある。