ブリット・ポップ
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ブリットポップ
様式的起源
ロックインディー・ロックパンク・ロックオルタナティヴ・ロックインディー・ポップマッドチェスターエレクトロニカパワー・ポップバロック・ポップ
文化的起源1990年代前半 イングランド
使用楽器ボーカルギターベースドラムスキーボード
地域的なスタイル
イングランド - スコットランド - ウェールズ - 北アイルランド
関連項目
バンド一覧 - クール・ブリタニア
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ブリットポップ(Britpop)またはブリットポップ・ムーブメント(Britpop Movement)は、1990年代ロンドンマンチェスターを中心に発生したイギリスポピュラー音楽ムーブメントである。ブリティッシュ・インヴェイジョングラム・ロックパンク・ロックなど、イギリスのロック黄金期の影響を受けたバンドが多くデビューし、イギリス音楽界を盛り上げた。

このムーブメントは、ブラーオアシスを中心に一旦はアメリカなどにも広まる兆しを見せ、他のポップカルチャーも巻き込んだ商業主義的な「クール・ブリタニア」などのブームを生んだ。しかしムーブメントの中心人物だったブラーのデーモン・アルバーンによる「ブリットポップは死んだ」と言う発言などによって、1997年から1998年頃に終止符が打たれた。
概要

90年代初頭のイギリスでは、主にハッピー・マンデーズストーン・ローゼズなどを中心としたマッドチェスターが次第に終息に向かい、ニルヴァーナを筆頭とするグランジ・ロックが流行し始める。これにより、アメリカ中心のバンドがチャートの上位を賑わしていたことから、しばしイギリスのロックは再び停滞気味になっていた。その状況に危機感を募らせていた音楽業界関係者たちは、イギリス本来の気質や伝統を持ち合わせたロックの復活を望んでいた。
1992年5月にスウェードがシングル「ザ・ドラウナーズ」でデビューし、1994年4月にブラーのサードアルバム『パークライフ』がリリースされた[1]。この二つの動きのどちらかがブリットポップの発端になったと後に言われている[1]

またそんな中、1994年4月5日、ニルヴァーナのフロントマンであるカート・コバーンが自殺し、グランジ・ブームは一気に影を潜めることになる。突然の悲劇にロック・ファンは衝撃を受けた。
歴史

このグランジ・ブームの終焉によって開いた穴を埋める、ブリットポップという言葉を生み出すきっかけとなったのが、ブラー[2]の3rdアルバム「パークライフ」のイギリスでの大ヒットと、オアシス[注 1]のデビューだった。両グループにより、イギリスの音楽シーンは大きな変貌を遂げることになる。ロック・ファンが本来のイギリスらしいロックの原点回帰を望んでいた中で登場し、脚光を浴びたのがブラーとオアシスだった。

機知と皮肉に溢れた歌詞に、捻くれたポップサウンドが特徴の中流階級出身のブラーと、荒々しくも流麗なメロディーを奏でる労働者階級出身のオアシス。両バンドにおけるこういった音楽性、階級の違いをマスメディアは大きく取り上げ、いつしか「ブリットポップ」なる言葉が誕生することとなった。多くのレコード会社は、新人バンドを次々とデビューさせた。それが翌年のブリットポップ・ブームの到来へと繋がっていった。

90年代前半には、イギリスの音楽界には個性的なミュージシャンが次々と登場した。ブラー、オアシス、スウェードに加えて、パルプレディオヘッドザ・ヴァーヴシャーラタンズプライマル・スクリームPJ ハーヴェイスピリチュアライズドマニック・ストリート・プリーチャーズコーナーショップステレオフォニックスドッジーノーザン・アップロアーブラック・グレープライトニング・シーズブー・ラドリーズスーパーグラスティーンエイジ・ファンクラブ、ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキ、「90年代のザ・スミス」ともいわれたジーンシェッド・セヴン、元ザ・ラーズのジョン・パワー率いるキャスト、華やかなルックスが注目を集めたメンズウェアなどである。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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