この記事には複数の問題があります。改善
やノートページでの議論にご協力ください。株式会社ブリヂストン
BRIDGESTONE CORPORATION
ブリヂストン本社が入居する東京スクエアガーデン
種類株式会社
機関設計指名委員会等設置会社[1]
市場情報東証プライム 5108福証 5108名証1部 5108
1962年4月2日 - 2021年12月19日大証1部(廃止) 5108
略称BS
本社所在地 日本
〒104-8340
東京都中央区京橋三丁目1番1号
(東京スクエアガーデン)
設立1931年(昭和6年)3月1日
創業:1892年(明治25年)
業種ゴム製品
法人番号3010001034943
事業内容タイヤ、化工品、運動用品
代表者取締役代表執行役Global CEO
石橋秀一
取締役代表執行役Joint Global COO
東正浩
資本金1263億5400万円
(2023年12月31日現在)[2]
発行済株式総数7億1369万8221株
(2023年12月31日現在)[2]
売上高連結:4兆3138億円
(2023年12月期)[2]
営業利益連結:4817億7500万円
(2023年12月期)[2]
経常利益連結:4441億5400万円
(2023年12月期)[2]
純利益連結:3313億500万円
(2023年12月期)[2]
純資産連結:3兆4053億9400万円
(2023年12月31日現在)[2]
総資産連結:5兆4278億1300万円
(2023年12月31日現在)[2]
従業員数連結:125,199名
単体:14,106名
(2023年12月31日現在)
決算期12月末日
会計監査人有限責任あずさ監査法人
主要株主石橋財団 10.89%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口)8.29%
日本カストディ銀行(信託口 4.94%
SMBC日興証券 3.08%
石橋寛 2.98%
日本生命保険 2.5%
永坂産業 2.32%
(2020年12月31日現在)
主要子会社ブリヂストンタイヤジャパン、ブリヂストン化成品、ブリヂストン化工品ジャパン、ブリヂストンスポーツ、ブリヂストンサイクル、ファイアストン
関係する人物石橋正二郎(創業者・元会長)
石橋幹一郎(元会長)
石橋寛(元監査役)
石橋徳次郎(元取締役・元日本ゴム会長)
石橋義雄(元日本ゴム会長)
石橋進一(元副社長・元日本ゴム会長)
石橋慶一(元日本ゴム取締役・元旭興産会長)
荒川詔四(元CEO)
津谷正明(元CEO)
外部リンクwww.bridgestone.com
テンプレートを表示
株式会社ブリヂストン(英: Bridgestone Corporation)は、日本のタイヤメーカー。石橋正二郎[3]によって創設され、東京都中央区に本社を置く。日経平均株価およびTOPIX Large70の構成銘柄[4][5]。
フランスのミシュランに次ぐ自動車用タイヤサプライヤーとなり、アメリカのグッドイヤーと共に世界シェア4割を占め、世界3大メーカーの一角を担う[6]。 1930年に、ゴム産業が盛んであった福岡県久留米市で日本足袋(現アサヒシューズ)のタイヤ部門として発足し、1931年にブリッヂストンタイヤ株式会社として分社独立した。その後、1951年にブリヂストンタイヤ株式会社に社名変更し、1984年に株式会社ブリヂストンに社名変更した。 社名は、創業者の石橋正二郎にちなみ、英語の「ブリッジ」(橋)と「ストーン」(石)を合成したものである。姓を直訳して「ストーンブリッジ」では語呂が悪いので、逆さにして「ブリヂストン」とした。また当時、タイヤの世界的ブランドだったファイアストンのような一流企業になりたいという思いも込められた[注釈 1]。創業者の社是は「最高の品質で社会に貢献」。 ブリヂストンブランドのスポーツ用品事業(ゴルフやテニスなど)、自転車事業はグループ子会社が行う。三井住友銀行とは旧住友銀行時代から緊密な関係にある。 国内で市販されているタイヤは、基本的にブリヂストン本体から販売会社がタイヤを買って市場に供給している[注釈 2]。販売会社はかつては各都道府県にあったが、経営統合により一部地域を除いて全国1社化された。店舗ブランドとして「ブリヂストンタイヤショップ」「コクピット」「タイヤ館」「ミスタータイヤマン」を持つ[注釈 3]。 売上高の地域別内訳は、日本国内が25%程度で、半分近くが南北アメリカ大陸である[7]。 シンボルマークとして、現在はアルファベットの「B」をかたどったものが使われている。1980年(昭和55年)に創立50周年「ブリヂストンは拡がる、世界へ、生活へ」のCI目標を掲げたプロジェクトの一環として梅田正徳の手によって手がけられたもので、1984年(昭和59年)に発表された[8]。2011年(平成23年)には、丸みを帯びたものに若干変更が加えられ(ロゴフォントも同様)、旧ロゴのRの文字が見やすく変更された[9]。 1967年から2020年現在[注釈 4]まで使用しているシンボルマークは、凸の中に「BS」の文字を入れたもので、ブリヂストンはキーストンマークと称している[9]。現行のロゴマークは7代目である[9]。1967年(昭和42年) - 1984年(昭和59年)当時のマークには、ブリヂストンを略した「BS」が使われた。
概要
事業内容
タイヤ部門
乗用車用/トラック・バス用/建設・産業・農業車両用/航空機用/地下鉄用(札幌市営交通)/二輪自動車・自転車用のタイヤ・チューブ。
化工品部門
自動車関連部品、ウレタンフォーム及びその関連用品、事務機器用精密部品、工業用資材関連用品、建築・配管関連用品、土木・海洋関連用品。
関連会社の事業
子会社ブリヂストンサイクルで自転車事業を展開する。1950年代にはブリヂストンサイクルでオートバイを製造したこともあったが後に撤退した。日本足袋から独立した経緯から、その後身のアサヒコーポレーション(現:アサヒシューズ)を通じて、ブリヂストンブランドの靴を発売している。
ロゴとシンボルマークキーストンマークの広告看板(福井県鯖江市)
沿革
1930年(昭和5年) - 日本足袋株式会社(現:アサヒシューズ株式会社)タイヤ部により純国産タイヤ第1号が生まれる。
1931年(昭和6年) - 3月1日 - 日本足袋タイヤ部が独立し、福岡県久留米市に「ブリッヂストンタイヤ株式会社」設立。
1932年(昭和7年) - 商工省より優良国産品の認定受領。米国フォード社やGM社の製品試験に合格。東アジア等への輸出を開始。
1934年(昭和9年) - 久留米工場開設。本格量産開始。
1935年(昭和10年) - ゴルフボールの本格量産開始。
1937年(昭和12年) - 本社を東京に移転。Vベルト・ゴムホース製造と防振ゴム試作を開始。
1938年(昭和13年) - 横浜工場開設。
1942年(昭和17年) - 太平洋戦争激化に伴い、英語表記の社名を「日本タイヤ株式会社」に変更。(→敵性語)
1947年(昭和22年) - 二代目石橋徳次郎保有の日本タイヤ株式と石橋正二郎保有の日本ゴム株式を交換し、資本・経営関係を分離[10]。
1949年(昭和24年) - 販売店の登録代理店制度を発足。「ブリッヂストン自転車株式会社」発足[注釈 5]。輸出事業強化に向けて輸出部を設置。石橋正二郎が東京電気自動車(後のプリンス自動車工業の源流)に出資。
1951年(昭和26年) - 社名を「ブリヂストンタイヤ株式会社」に変更。グッドイヤー社と生産・技術提携契約を締結(1979年(昭和54年)に解消)。他社に先駆けタイヤコードのレーヨン化を開始。東京京橋にブリヂストンビルを竣工、「ブリヂストン美術館」を併設。
1951年(昭和26年) - カーボンブラックの国産化を目的として石橋正二郎により旭カーボンを設立[11]。
1952年(昭和27年) - 横浜工場でフォームラバー生産開始。ブリヂストン自転車にてオートバイの製造開始。トラック・バス用タイヤ全サイズをレーヨンコード化し更に新パタンに切替え「U-LUG」と命名し発売、大ヒットとなる。アジア諸国へ主張員を派遣し市場調査を開始。石橋正二郎が会長を務める「たま自動車」が、初の乗用車「プリンス」を発売(同年、社名を「プリンス自動車工業」に変更)。
1953年(昭和28年) - 売上高100億円突破、業界首位に。中近東諸国への出張員派遣を開始。
1956年(昭和31年) - 創立25周年記念式典挙行、記念事業の一環として石橋文化センターを建設し久留米市へ寄贈。日本初のトラック用スチールバイアスタイヤ開発。販売店の自社系列化政策を開始(販売会社化)。戦後初の海外拠点としてシンガポール支店を設置。
1958年(昭和33年) - 欧米諸国への出張員派遣を開始。
1959年(昭和34年) - 他社に先駆けタイヤコードのナイロン化を開始[12]。
1960年(昭和35年) - 東京工場開設。横浜工場でウレタンフォーム生産開始。「ブリヂストン液化ガス」(現:「ENEOSグローブ」)を設立。
1961年(昭和36年) - 株式公開を実施(店頭 5月)、東京・大阪証券取引所に株式を上場(10月)。
1962年(昭和37年) - 日本初のトラック用スチールラジアルタイヤ開発。東京工場敷地内に技術センター開設。
1963年(昭和38年) - 日本初の本格的レースである第1回日本グランプリに参戦。
1964年(昭和39年) - 日本初の乗用車用ラジアルタイヤ開発[注釈 6]。
1965年(昭和40年) - マレーシアに戦後初の海外工場を設立。欧州で最初の販売会社をスイスに設立。米国インペリアル・イーストマン社と技術援助契約、「ブリヂストン・インペリアル・イーストマン」(現:「ブリヂストン・フローテック」)を設立(1981年(昭和56年)に子会社化)。タイヤ品質保証部を設置し、品質の保証を体系化・体制の充実を図る。
1966年(昭和41年) - CMソング「どこまでも行こう」放送開始。ブリヂストン液化ガス、三井物産と資本提携。
1967年(昭和42年) - アメリカに販売会社「ブリヂストン・アメリカ」を設立。ブリヂストンタイヤショップ制度発足。
1968年(昭和43年) - デミング賞受賞。