ブリタニカ百科事典
ラテン語: Encyclopadia Britannica
著者4,411人の寄稿者 (2008年)
イラストアンドリュー・ベル
発行元
初版から第6版(1768年から1826年): アンドリュー・ベル、コリン・マックファーカー、ウィリアム・スメリ
第7版から第9版(1827年から1901年): A & C Black
第10版から第14版(1901年から1973年): 米国のシアーズ・ローバックやベントン財団など
第15版: ベントン財団とEncyclopadia Britannica, Inc.(Britannica.com Inc.と分社化後のもの)
ジャンル百科事典
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グレートブリテン王国 (第1 - 3版)
イギリス (第4 - 9版)
アメリカ合衆国 (第10 - 15版)
言語イギリス英語
形態上製本32巻(2010年度第15版)、現在はデジタル版のみ
ページ数32,640ページ(2010年度第15版)
公式サイトwww.britannica.com
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第14版の輸送用木箱
『ブリタニカ百科事典』(ブリタニカひゃっかじてん、羅: Encyclopadia Britannica)は、1768年に初版が発行された[1]英語で書かれた百科事典である。
110人のノーベル賞受賞者と5人のアメリカ合衆国大統領を含む4,000人以上の寄稿者と専任の編集者約100人によって書かれており、学術的に高い評価を受けている。日本語版は『ブリタニカ国際大百科事典』の題名で刊行されている。 1768年から1771年にかけて、エディンバラで3巻の百科事典として発行されたのが始まりである。 収録された記事は増えていき、巻数は第2版で10巻、第4版(1801年から1810年)では20巻となった。学術的な地位の向上は高名な寄稿者を招くのに役立ち、第9版(1875年から1889年)と第11版(1911年)は、文体と学術的知識において画期的なものとなった。版権が米国に移った第11版からは、北米市場に売り込むため短く簡潔な記事となっていった。1933年、ブリタニカは百科事典としては初めて継続的な改訂が行われるようになった。 2012年3月、ブリタニカ社は、紙の書籍としての発行を取り止めオンライン版 ブリタニカ・オンライン(英語版
概要
第15版からは三部構成となっている。短い記事(ほとんどが750語以下からなる)のマイクロペディア(小項目事典)12巻、長い記事(2 - 310ページ)のマクロペディア(大項目事典)19巻、そして知識を系統立てる、もしくは概観を示すプロペディア(総論・手引き)1巻である。マイクロペディアは簡単な調べ物やマクロペディアの手引書としての役割を担っている。記事の概観や詳細を知るためにはプロペディアを閲覧することが推奨されている。
ブリタニカはおよそ50万の記事が約4000万語で記述されており、70年以上ほぼ一定に保たれている。1901年以降は米国を拠点に出版されてきたが、主にイギリス英語で書かれている。
歴史詳細は「ブリタニカ百科事典の歴史(英語版)」を参照
過去に版権を持っていたものにはスコットランドの出版社A & C Blackやホレス・エヴェレット・フーパー、シアーズ・ローバック 、ウィリアム・ベントンらがいる。現在は俳優でもあるスイスの富豪ジャッキー・サフラ(英語版)(ジェイコブ・サフラ)がブリタニカ社を所有している。情報技術が進歩し、Encyclopadia Britannica Ultimate Reference Suite やエンカルタ、ウィキペディアのようなデジタル百科事典が台頭してくると紙媒体の需要は少なくなってきた[3]。競争力を維持するためブリタニカ社はブリタニカの高い評価を強調し、販売価格を引き下げた。またCD-ROM版やDVD版、オンライン版などの開発にも取り組んだ。1930年代初頭以来、同社は派生事業も推進している[4][注釈 1]。