ブリストル・テンプル・ミーズ駅
Bristol Temple Meads
駅のファサード
ブリストル・テンプル・ミーズ駅(ブリストル・テンプル・ミーズえき、英語: Bristol Temple Meads railway station)は、イギリス・ブリストルで最古かつ最大の鉄道駅である。ブリストルにおける公共交通の重要な乗換拠点となっており、町の多くの場所や郊外の地域へのバスや都心部へのフェリーに乗り換えられるようになっている。ブリストルにおけるもう1つの鉄道のターミナルであるブリストル・パークウェイ駅 (Bristol Parkway railway station) はブリストル市街地の北の郊外にある。
1840年8月31日、ロンドンのパディントン駅からのグレート・ウェスタン鉄道の西側の終点駅として開業した。テンプル・ミーズ駅を含むこの鉄道全体は、後に多くの作品を生むことになるイザムバード・キングダム・ブルネルによって設計された初期のものであった。その後間もなく、この駅にはブリストル・アンド・エクセター鉄道 (Bristol and Exeter Railway)・ブリストル・アンド・グロスター鉄道 (Bristol and Gloucester Railway)・ブリストル・ハーバー鉄道 (Bristol Harbour Railway)・ブリストル・アンド・サウス・ウェールズ・ユニオン鉄道 (Bristol and South Wales Union Railway) も乗り入れてくるようになった。増加する列車を捌くために、駅は1870年代にフランシス・フォックス (Sir Francis Fox) により、さらに1930年代に再度、P.E.カルバーハウス (P.E.Culverhouse) により拡張された。ブルネルが当初建設した部分は既に営業しておらず、この部分にはかつてロンドンへ移転するまでの大英帝国連邦博物館 (British Empire and Commonwealth Museum) が入居していた。駅の歴史的な重要性は有名で、構内の大部分が1級の史跡に指定されている。
現在は駅をネットワーク・レールが所有し、グレート・ウェスタン・レールウェイの列車が発着する。同社はロンドンへの列車の大半と近郊の地域輸送、カーディフ・サウサンプトン・ポーツマス・ウェイマス (Weymouth) などへの都市間輸送を担っている。またクロスカントリーにより南西イングランドのプリマス・ペンザンス、北のマンチェスター・ピカデリー駅・ヨーク、スコットランドのエディンバラ・アバディーンなどへの長距離列車が運行されている。また、サウスウェスト・トレインズによってウォータールー駅への列車も数本運行されている。
2007年3月までの1年間の乗降客数は700万人以上で、6年間でほぼ200万人増加している。この数はネットワーク・レールの駅では38番目、ロンドン以外の駅では16番目である。これに加えて、乗換客数が84万5000人以上いると見積もられている。
プラットホームは1番から15番まで番号が振られているが、旅客列車は8線のみに限定されている。大半のホームは東側の乗り場が奇数番号、西側の乗り場が偶数番号を振られている。しかし混乱することに、2番乗り場は旅客用ではなく、また14番乗り場は存在していない。 テンプル・ミーズという駅名は、近くにあるテンプル教会 (Temple Church
歴史
ブルネルの駅ジョン・クック・ボーン (John Cooke Bourne) による、1843年頃のテンプル・ミーズ駅のブルネル設計のトレイン・シェッドの内部を描いた版画
当初の駅は、1839年から1841年にかけてブリストルで最初の旅客鉄道であるグレート・ウェスタン鉄道のために、同鉄道の技師であるイザムバード・キングダム・ブルネルによる設計で建設された[4]。ブルネルが手がけた最初の鉄道であるこの鉄道に対して、彼は7 フィート 0.25 インチ (2,140 mm) の広軌を採用した。彼はこの軌間を、後にイングランド南部や西部の多くの鉄道を建設する際にも採用し続けた。ブリストル港やエイヴォン川の高さより高い位置に建設するために、駅は高架橋上にあり、1級史跡に指定されているエイヴォン橋 (Avon Bridge) でエイヴォン川を横断している。駅は200 フィート(約61 m)にわたりトレインシェッドで覆われており、プラットホームから先に155 フィート(約47 m)延長されて貨物取扱所や機関庫が置かれ、テューダー様式の事務所ビルに面していた[5]。バース までの列車の運行は1840年8月31日に始まり、ロンドンのパディントン駅まではボックストンネルの完成を受けて1841年6月30日から開始された[6]。ブルネルの設計した当初の駅は、大英帝国連邦博物館として使われていた
パディントンまでの営業が開始される数週間前の、1841年6月14日にブリストル・アンド・エクセター鉄道が開業し[7]、同社の列車はグレート・ウェスタン鉄道の駅をバックで発着するようになった。テンプル・ミーズ駅に発着する3番目の鉄道は、1844年7月8日に開業したブリストル・アンド・グロスター鉄道であったが、同社は1845年7月1日にミッドランド鉄道 (Midland Railway) によって買収された[6]。この鉄道もグレート・ウェスタン鉄道のプラットホームを利用し、ブリストル港を横断する橋の向こう側で自社の路線へ分岐していた。これらの新しい鉄道もブルネルが設計し、また当初は広軌を採用していた[7]。ブルネルは、ブリストル・アンド・サウス・ウェールズ・ユニオン鉄道も設計したが、この鉄道はブルネルの死からほぼ4年経った1863年8月25日になって開業した。この鉄道もテンプル・ミーズ駅に発着した。
ブリストル・アンド・エクセター鉄道の駅ブリストル・アンド・エクセター鉄道本社