Brigham Young University
ブリガム・ヤング大学ブリガム・ヤング大学の印章
モットー公式には存在せず[1]
非公式の標語としては
"The glory of God is intelligence"[2]
"Enter to learn, go forth to serve"
"The world is our campus"[3]
種別非営利による私立
設立年1875年10月16日
提携関係末日聖徒イエス・キリスト教会
資金10億5000万ドル(2013)[4]
学長
ブリガム・ヤング大学(ブリガム・ヤングだいがく、Brigham Young University、略称:BYU または the Y)は、アメリカ合衆国のユタ州プロボにある、末日聖徒イエス・キリスト教会が運営する名門私立大学である。1875年10月16日、末日聖徒イエス・キリスト教会の教徒入植者に対する教育を目的とし、教会の2代目大管長であるブリガム・ヤングによって創立されたブリガム・ヤング・アカデミー(Brigham Young Academy)を前身に、1903年に大学としての認可を受けた。今日ではプロボ校のほかにアイダホ校とハワイ校を有する[8]。
プロボ校単独で3万人を超える学生のほぼ全員が敬虔なキリスト教徒であり、様々な分野で非常に優れた教育を施し、多くの人材を送り出してきた。その中にはアメリカ大統領候補となった政治家ミット・ロムニー、デルCEOを務めた経営者ケビン・ロリンズ、芸能人ケン・ジェニングス、作家のステファニー・メイヤー、オースン・スコット・カード、スティーブン・R・コヴィー、日本マイクロソフト株式会社代表取締役社長の平野拓也らが含まれる。特にAccounting(会計学)、Linguistics(言語学)、のレベルの高さで知られており、米国トップクラスの大学として評価されている。 198の学術的なプログラム、69の修士号、27の博士号課程があり、生物学と農業、デヴィッドOマッケイ教育学校、アイラAフルトンカレッジ オブ エンジニアリングアンドテクノロジー、家庭、家族と社会科学、ファインアートとコミュニケーション、健康ヒューマンパフォーマンスと人文科学、J.ルーベン・クラーク法律学校、マリオットスクールオブマネージメント、看護、物理学と数学等のコースを学べる。卒業生においては、ノーベル賞受賞者のポール・ボイヤーや電子式テレビを発明したフィロ・ファーンズワース、補聴器の開発や油滴実験を行ったハーヴェイ・フレッチャーなどを輩出している。 その他、末日聖徒イエス・キリスト教会が世界中に宣教師を派遣している背景から、外国語習得プログラムが充実している。アメリカ合衆国教育省から国際実務教育研究と全国中東言語資源センター
歴史
1830年4月6日 宗教家ジョセフ・スミス・ジュニアが末日聖徒イエス・キリスト教会を設立。
1844年6月27日 創設者ジョセフ・スミス殉教。教会大管長ブリガム・ヤング、残されたモルモン教徒のユタ[要曖昧さ回避]地方への移民を指導。
1850年9月9日 ユタ準州、合衆国政府によって設立される(1850年協定)。ブリガム・ヤング、ユタ準州知事を兼任。
1862年 実業家ウォーレン・ニュートン・デュセンベリー(en)、ユタ準州の都市プロボに植民者学校を創設。
1869年 デザレット大学(現・ユタ大学)、植民者学校をデザレット大学プロボ校として統合し、デュセンベリーが初代学長に就任。
1875年10月16日 デュセンベリー、モルモン教会から土地建物の援助を受け、プロボ校をデザレット大学から独立させる。
その際、校名をブリガム・ヤング・アカデミー(Brigham Young Academy)に改名。デュセンベリー、初代学院長に就任。
1876年8月 ドイツ布教区から派遣されたカール・メイザー(en)、第二代学院長に就任。
1884年 化学実験中の爆発事故でアカデミーの校舎が破損。臨時校舎へ機能を移転する。
1892年 アカデミー校舎が再建される。ミシガン大学からベンジャミン・クルッフ(en)を招致、第三代学院長に就任。
1903年 大学としての認可を受け、ブリガム・ヤング大学(Brigham Young University)に改名。
クルッフが初代学長に就任するも同年中にジョージ・H・ブリムホール(en)が第二代学長に就任。
1921年、フランクリン・S・ハリスが第三代学長に就任。ハリスは大学移行後、学部出身者から選出された最初の学長であり、また博士号を持つ学長としても最初となる。
概要
同校は末日聖徒イエス・キリスト教会の教えに基づいた学びの場を提供しているが、非教会員も入学可能である。ただし、教会員が受ける授業料の優待制度を非教会員は受けることができない。そのため、学生の殆どが末日聖徒イエス・キリスト教会の教会員である。学生、事務職員、及び教職員はオーナーコード(校則)と服装と身だしなみ等、細かい規則を守るよう義務付けられている。オーナーコードには、末日聖徒イエス・キリスト教会の戒めと同様の知恵の言葉(タバコ、酒、コーヒー、カフェインを含む茶、有害な薬物、などの禁止)、純潔の律法(婚姻関係を持っている者以外の人との性行為、自慰行為、同性愛、ポルノグラフィー、などの禁止)などがある。また、大学創設者のブリガム・ヤングが人の外観を重視し「あなたの服装と身だしなみは、あなたや他の人の行動に影響を与える」との信念を持っていた[9]ため、服装と身だしなみに関する規定も非常に厳しい。そのため、現役の学生や卒業生は美意識が高く、ファッションやビューティー、ライフスタイルなどを発信する女性ブロガーが多い[9][10]。学生や教職員の人種構成はモルモン教徒のそれ[11][12]と同様で、3万人を超える学部生数の80%以上および教職員の90%以上が非ヒスパニック系白人であり[13]、アメリカの大学の全国平均と比べても白人比率は非常に高く[14]、黒人やアジア系の比率は非常に低い[15]。