ブラーフミー文字
類型:アブギダ
言語:初期のプラークリット
時期:紀元前6世紀、最終的に多くの派生文字体系へ発展
親の文字体系:原カナン文字[1]
フェニキア文字[1]
アラム文字[1]
ブラーフミー文字
子の文字体系:南アジア、東南アジア、北アジアのほとんどすべてのアブギダの祖となった。
姉妹の文字体系:カローシュティー文字
Unicode範囲:U+11000?U+1107F
ブラーフミー文字(ブラーフミーもじ、英語: Br?hm? script)は、初期のブラーフミー系文字の一種である。ブラーフミー文字で書かれた最も有名な碑文としては、紀元前3世紀頃の石に刻まれたアショーカ王法勅がある。これは長い間、ブラーフミー文字の最初期の使用例であると考えられてきた。しかし、最近の南インド[2]とスリランカ[3][4]における考古学的知見は、ブラーフミー文字が最も初期に使われたのは紀元前6世紀前後であると示唆している。年代は放射性炭素法と熱ルミネッセンス法で測定された。
ブラーフミー文字は南アジア、東南アジア、チベット、モンゴルのほとんどの文字体系の祖である。ブラーフミー数字は、現在世界中で使われているアラビア数字の元になっている。 音素文字の歴史
起源
青銅器時代中期-原シナイ
前19-15世紀
ウガリット 前15世紀
原カナン 前14世紀
フェニキア 前11世紀
古ヘブライ 前10世紀
サマリア 前6世紀
アラム 前9世紀
ブラーフミー
(インド系)
チベット 7世紀
クメール 7世紀
ジャワ 9世紀
他多数
ヘブライ 前3世紀
シリア 前2世紀
ナバテア 前2世紀
アラビア 4世紀
ペルシア 7世紀
ウルドゥ 11世紀
ターナ 18世紀
パフラヴィ 前2世紀
アヴェスタ 4世紀
ソグド
突厥 5世紀
ウイグル 8世紀
(契丹小字 10世紀)
(女真小字 12世紀)
モンゴル 13世紀
満洲 16世紀
シベ 20世紀
トド 17世紀
ワキンダラー 20世紀
ギリシア 前9世紀
エトルリア 前8世紀
ラテン 前7世紀
ルーン 2世紀
オガム 4世紀
ゴート 4世紀
コプト 300年
グルジア 4世紀
アルメニア 405年
グラゴル 862年
キリル 10世紀
イベリア 前6世紀
南アラビア 前9世紀
ゲエズ 前5–6世紀
メロエ 前3世紀
カナダ先住民 1840年
注音 1913年
アショーカ第6法勅の断片
ブラーフミー文字は、ほとんどの研究者によって、同時期にアケメネス朝の支配下にあった北西インドの一部で発生したカローシュティー文字と同様、アラム文字のようなセム語派の文字から生じた、あるいは少なくともその影響によって生じたと考えられている[5]。しかし、この問題は直接的な証拠がなく、セム語派の文字、カローシュティー文字、ブラーフミー文字の間に解明しづらい相違点が見られるため解決されていない[6]。いくらかの研究者(西洋とインドの両方)は、ブラーフミー文字がアショーカ王の治世の間に短期間で発明されて碑文のために広く使われたとし、その時にセム語派の文字の文献から触発されたという見解を示唆している[6]。それと対照的に、一部の研究者は外国からの影響とする見解を否定している[7][8]。
ブラーフミー文字の最古の使用例はスリランカの交易都市アヌラーダプラから見つかった紀元前5世紀初頭の陶片であると思われる。さらに、アーンドラ・プラデーシュ州のBhattiproluとインドタミル・ナードゥ州のAdichanallurの陶片からより古いブラーフミー文字の証拠が発見されている。放射性炭素年代測定がそれらは紀元前6世紀のものであると証明した[2]。カンヘリー石窟の石に刻まれたブラーフミー文字
最古のブラーフミー文字による碑文を見ると、当時のアラム文字と比べて2つの言語間で等価な少数の音素に関して著しい類似点が見られる。とくに書字方向の変更を反映して文字を反転させると明らかである[要出典]。
別の説によれば、ブラーフミー文字はおそらくインダス文字をその祖先として全く独自に発達した。