この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。
出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年2月)
ブランデンブルク辺境伯の紋章。
ブランデンブルク統治者の一覧(ブランデンブルクとうちしゃのいちらん)では、神聖ローマ帝国の領邦君主の一人であるブランデンブルク辺境伯(選帝侯)を一覧で列挙する。
ブランデンブルク辺境伯領は神聖ローマ帝国の主要な構成国の一つである。1157年にノルトマルク辺境伯アルブレヒト1世(熊公)がブランデンブルク辺境伯を設置したことに始まる。1356年にカール4世が金印勅書を発したことで選帝侯の地位を獲得する。
初期は様々な家系が支配したが、1415年以降は一貫してホーエンツォレルン家が5世紀にわたって統治した。ブランデンブルク辺境伯及び選帝侯は1806年の神聖ローマ帝国崩壊で廃された。しかしながらホーエンツォレルン家はプロイセン王国(ホーエンツォレン家は1701年に「プロイセンの王」を、1772年にはプロイセン国王の地位を獲得した)と名を変えてベルリンを中心として統治し続けた。1871年から1918年の間にはドイツ皇帝も兼ねている。目次 アスカーニエン家
1 ブランデンブルク辺境伯
2 ブランデンブルク選帝侯
3 第二次世界大戦後
3.1 ブランデンブルク州首相(1945年から1952年まで)
3.2 ブランデンブルク州首相(1990年以降)
4 関連項目
ブランデンブルク辺境伯
名前統治期間備考
アルブレヒト1世 1157年 - 1170年1134年以降はノルトハイムの統治者。「熊公」と呼ばれた。
オットー1世
オットー2世
ヨハン1世の息子たちの共同統治:
ヨハン2世(1266年 - 1282年)
コンラート(1266年 - 1304年)
オットー4世(1266年 - 1308年)
ハインリヒ1世(1266年 - 1318年)
オットー3世の息子たちの共同統治:
ヨハン3世(1267年 - 1268年)
オットー5世(1267年 - 1298年)
オットー6世(1267年 - 1291年)
アルブレヒト3世(1267年 - 1300年)
共同統治:
ヴァルデマール(1308年 - 1319年) - コンラートの息子。
ハインリヒ2世(1319年 - 1320年) - ハインリヒ1世の息子。
共同統治:
ヘルマン(1298年 - 1308年、1300年以降は単独統治)
ヨハン5世(1308年 - 1317年)
1320年にアスカーニエン家が断絶すると、ヴィッテルスバッハ家出身の神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世がブランデンブルクを獲得し、後に長男のルートヴィヒ5世を封じた。
ヴィッテルスバッハ家
名前統治期間備考
ルートヴィヒ2世1323年 - 1351年ハインリヒ2世の従弟で神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の息子。
ルートヴィヒ3世1351年 - 1356年ルートヴィヒ2世の弟。1356年に選帝侯位を獲得。
ブランデンブルク選帝侯