ブランソン_(ミズーリ州)
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ブランソン
Branson

City of Branson
ブランソンの衛星写真
愛称: 世界のライブ・エンタテインメント首都[1][2][3]
ミズーリ州におけるストーン郡(右図)と同郡におけるブランソン市の位置
国勢調査用図
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度38分16秒 西経93度15分18秒 / 北緯36.63778度 西経93.25500度 / 36.63778; -93.25500座標: 北緯36度38分16秒 西経93度15分18秒 / 北緯36.63778度 西経93.25500度 / 36.63778; -93.25500
アメリカ合衆国
 ミズーリ州
ストーン郡トーニー郡
設立1882年
法人化1912年
政府
 ? 市長レアンヌ・プレスリー
面積[4]
 ? 20.80 mi2 (53.87 km2)
 ? 陸地20.63 mi2 (53.43 km2)
 ? 水域0.17 mi2 (0.44 km2)
標高778 ft (237 m)
人口(2010年)[5]
 ? 10,520人
 ? 推計(2012年[6])10,842人
 ? 密度669.2人/mi2 (258.4人/km2)
 ? 都市部14,359人
等時帯UTC-6 (中部標準時)
 ? 夏時間UTC-5 (中部夏時間)
ZIPコード65615-65616
市外局番417
FIPS code29-07966[7]
GNIS feature ID0739970[8]
ウェブサイトwww.bransonmo.gov
タイタニック博物館ブランソンで公演する「ザ・ダットンズ」プレスリーのカントリー・ジュビリー賑わう夜の「ザ・ストリップ」(州道76号線)

ブランソン(: Branson)は、アメリカ合衆国ミズーリ州の最南部、ストーン郡トーニー郡に跨る都市である。オザーク山地の中に入っている。市名は1880年代の郵便局長を務め、地域の雑貨屋を営んでいたリューベン・ブランソンから採られた[9]

ブランソンはミズーリ州や周辺地域にとって人気のある休暇地だった。州道76号線カントリー・ブールバードには娯楽の劇場が建ち並び、また規模は落ちるが州道248号線シェパード・オブ・ザ・ヒルズ・イクスプレスウェイにもあり、観光地としての人気を高めてきた。現在は国内各地から自家用車あるいはバスで観衆を惹き付け続けている。

2010年国勢調査での人口は10,520 人だった。ブランソン小都市圏はストーン郡とトーニー郡の全体を含んでいる。
歴史

1882年、リューベン・ブランソンがこの地域に雑貨店と郵便局を開いた。正式には1912年に法人化された。この年、ホワイト川にパワーサイドダムが建設され、トーニーコモ湖が完成した。

1894年、ウィリアム・ヘンリー・リンチがマーブル(大理石)洞窟を買収し、マーベル(不思議)洞窟と改名して、観光客から入場料を取り始めた。1950年にヒューゴとメアリーのハーシェンド夫妻が99年間リースでこの洞窟を借り受け、その中でスクウェアダンスの会を始めた。ハーシェンド家は電気照明やコンクリート製階段で洞窟を近代化し、1960年にはシルバー・ドラー・シティをオープンした。これは、フロンティアにあった町を再現したものであり、店舗5軒、教会1棟、丸太小屋1軒があり、ハットフィールド家とマッコイ家の争いを俳優が演じた。

1907年、ハロルド・ベル・ライトがオザーク山地に関する小説『丘の羊飼い』を出版した。オールドミル・シアターが、1960年にこの小説に基づく最初の屋外劇を上演し始めた。丘の羊飼い屋外ドラマとホームステッドと呼ばれたこのショーは2013年10月19日の屋外ドラマ公演で終演になった。この劇場はインスピレーション・タワー、パイオニアの息子達などその他の演し物の会場だった。ハロルド・ベル・ライト博物館は、世界最大の玩具博物館の中にある。1934年、12年間ブランソン市長を務め、起業家でもあるジェイムズ・オーウェンがコマーシャル通りに最初の劇場を建設し、当初「ヒルビリー・シアター」と呼ばれたその施設は、遠くまた広く観衆を集め始めた。1959年、ホワイト川にテーブルロックダムが完成してテーブルロック湖を造った。1959年、ボールドノッバーズ・ジャンボリーがブランソンで初のライブ音楽ショーを開催した。

1962年、ポール・ヘニングがオザーク山地に向かうボーイスカウトのキャンプ旅行にヒントを得て、『じゃじゃ馬億万長者』を創作し、1971年までテレビで放映された[10]。1969年のシーズン8で、初めの5話はブランソン地域が舞台になり、クランペットが自分の家に戻った。ヘニングは後にブランソンに近いルス・アンド・ポール・ヘニング保護地域に1,534エーカー (6.21 km2) の土地を寄付した[11]。またこの番組で使った1921年製オールズモビルの改造トラックをカレッジ・オブ・ジ・オザークスに寄付しており、現在はラルフ・フォスター博物館で展示されている。

プレスリー家(エルヴィス・プレスリーとは無関係)が、1967年にミズーリ州道76号線沿いで初めてショー(プレスリーのカントリー・ジュビリー)を公演した。翌年にはボールドノッバーズ・ジャンボリーが続いた。最終的にブランソンには50以上の劇場ができ、その大半は州道76号線沿いにあることになった。

1980年代初期、チサイ・チャイルズ・スターライト・シアターが、通常演じられる伝統的なカントリー・ミュージック以外に、初めて舞台装置、楽器セクション、考えられた衣装変更、音楽を導入した。ショージ・タブチ(田淵 章二)など多くの芸人を育てることになった[12]

1983年、ロイ・クラーク・セレブリティ・シアターがオープンし、著名なカントリー・ミュージックのスターをブランソンに連れてくるようになってから、ブランソンは観光客を誘致する場所に変身し始めた。ブランソンに自分の劇場を持つ芸人の多くは、この会場で演じたときに初めてブランソンを発見していた。

1983年にはまた、7,500席のスイス・ビラ円形劇場がランプでオープンした。この屋外円形劇場はデフ・レパードレーナード・スキナードREOスピードワゴンステッペンウルフオジー・オズボーンのような芸人を連れてきた。2000年代初期に一旦閉鎖され、2010年にブラックオーク・マウンテン円形劇場として再開された。

1987年、ボックス・カー・ウィリーがブランソンの劇場を購入したことで最初の国際的エンタテナーとなり、そこで恒久的な公演スケジュールを持っている。

1989年、ショージ・タブチがブランソンで自分の劇場をオープンした(州道76号線沿いのオザークス自動車博物館を劇場に転換した)。続いて1990年にはシェパード・オブ・ザ・ヒルズ・イクスプレスウェイに新しい劇場を建設した。一方メル・ティリスがショー時の古い劇場に引っ越した。1990年から1991年、ジム・スタッフォード、レイ・スティーブンス、ミッキー・ギリー、モー・バンディなど幾人か全国に知られた芸人が自分の劇場を開いた。これら全国的なスターの他に、土地で育った多くのショーも劇場を持った。ロー家は自分達のショーを演じ、コンウェイ・トウィッティ、ロレッタ・リン、バーン・ゴスディン、ウェイロン・ジェニングスなど全国に知られたスターを連れてきた。76ミュージック・ホール(現在はグランド・カントリー・ミュージック・ホールと呼ばれる)が1日の異なる時間帯に3つの異なるショーを演じた最初の劇場になった。バック・トレントはモーニング・ショーを開催した最初の全国レベル・スターとなった。

劇場が増えていき、その他の公演もブランソンで始められたことでテレビ番組『60ミニッツ』から注目され、1991年12月8日にブランソンを紹介する番組を放映し、ブランソンを「全宇宙のライブミュージック首都」と呼んだ[13]

アンディ・ウィリアムズがブランソンに自分の劇場を建設し、1992年5月1日にムーンリバー・シアターとしてオープンした。グレン・キャンベルのグッドタイム・シアターは1994年にオープンし、グレン以外に、その「グッドタイム・バンド」、娘のデビー・キャンベル、マシュー・ディケンズ・ダンサーズ、コメディアンで腹話術師のジム・バーバーを登場させた。


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