ブランズウィック_(メイン州)
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ブランズウィック
Brunswick, Maine
ブランズウィック中心街
標語: "美しくバランスが取れている"
ブランズウィックメイン州におけるブランズウィック町の位置
北緯43度54分39秒 西経69度57分47秒 / 北緯43.91083度 西経69.96306度 / 43.91083; -69.96306
アメリカ合衆国
 メイン州
カンバーランド郡
入植1628年
法人化(町)1739年
面積[1]
 ? 合計54.34mi2 (140.74km2)
 ? 陸地46.73mi2 (121.03km2)
 ? 水面7.61mi2 (19.71km2)
人口(2010年)[2]
 ? 合計20,278人
 ? 推計(2012年[3])20,329人
 ? 密度433.9/mi2 (167.5/km2)
等時帯UTC-5 (東部標準時)
 ? 夏時間UTC-4 (東部夏時間)
郵便番号04011
ウェブサイト ⇒www.brunswickme.org

ブランズウィック(: Brunswick)は、アメリカ合衆国メイン州南西部海岸のカンバーランド郡に属する町である。2010年国勢調査では人口20,278 人だった。ポートランド市サウスポートランドビデフォード大都市圏に属している。町内にはボーディン・カレッジ、ボーディン・カレッジ美術館、ピアリー=マクミラン北極博物館、ザ・シアター・プロジェクト[4]、メイン州音楽劇場がある。またメイン州最新の総合病院であるミッドコースト病院やパークビュー・アドベンティスと医療センターもある。アメリカ海軍ブランズウィック航空基地があったが、2011年5月31日に閉鎖された。
目次

1 歴史

2 地理

2.1 気候

2.2 隣接する都市と町


3 教育

4 交通

4.1 鉄道

4.2 道路


5 人口動態

5.1 収入

5.2 2010年国勢調査


6 見どころ

7 著名な出身者

8 ギャラリー

9 脚注

10 参考文献

11 外部リンク

歴史 1795年5月29日のブランズウィック地図

ブランズウィック町となった所は、まず1628年にトマス・パーチェイスなど漁師が入り、川の「長く岩がちの急流」を意味するインディアンの言葉で「ペジェプスコット」と呼ばれていた。1639年、パーチェイスはその開拓地をマサチューセッツ植民地の保護下に置いた。フィリップ王戦争の1676年、ペジェプスコットは焼かれ放棄された。ウィリアム王戦争のときにその廃墟跡にアンドロス砦とよぶ駐屯地が建設された。この戦争中、ベンジャミン・チャーチ少佐の2回目の遠征で、1690年9月11日にカスコ湾に300名の兵士と共に到着した。このときアンドロスコギン川を遡りイギリス人のペジェプスコット砦(現在のブランズウィック)まで行った[5]。そこから40マイル (64 km) 上流に行って、インディアンの村を攻撃した。退却中のインディアン3人ないし4人が銃で撃たれた。インディアンのウィグワムの中にチャーチがイギリス人捕虜5人を発見したとき、6人ないし7人の捕虜が見せしめとして殺され[6]、他に9人が捕虜に取られた。その数日後、撤退中だったチャーチの部隊をケープエリザベスのパープーダックポイントでインディアンが襲い、7人を殺し、24人に負傷させた[7]。9月26日、チャーチ隊はニューハンプシャー州ポーツマスまで戻った。

1713年ポーツマス条約によって、アベナキ族インディアンとイギリス人植民者との間で、地域の平和が生まれた[8]

1714年、ボストンとポーツマスの共同事業体が後にペジェプスコット買収地と呼ばれる土地を購入した。1717年、マサチューセッツ植民地議会がタウンシップを設立し、ハノーヴァー朝とその末裔である国王ジョージ1世を顕彰してブランズウィックと名付けた。滝の近くには1715年にジョージ砦と呼ぶ石造り砦が建設された。しかし、ダマーの戦争の1722年7月13日、ノリッジウォックから来たアベナキ族戦士が村を燃やした。その結果、サミュエル・シュート総督がアベナキ族に対して宣戦布告した。1774年、208人にイギリス兵がリッチモンド砦を出発し、ノリッジウォックを襲撃した。ブランズウィックの町は1727年に再建され、1739年には町として法人化された。繁盛する海港となり、1794年にはボーディン・カレッジが認可された[8]

アンドロスコギン川の滝は3段で落差が41フィート (12 m) あり、工業用の動力を供給した。ブランズウィックは木材の主要産地となり、25か所ほどの製材所があった。木材の中には造船に使われるものもあった。その他の製造業では、紙、石鹸、小麦粉、大理石、花崗岩、4輪馬車、ハーネス、鋤、家具、靴、菓子が作られた。この町ではメイン州初の綿糸工場ができた所であり、1909年にブランズウィック綿糸製造会社が建設された。この工場は1812年に買収されてメイン・コットン・アンド・ウールン・ファクトリー会社として拡大された[9]。1857年、カボット製造会社が綿繊維を作るために設立された。この会社は倒産したウォランボ・ミルを買収し、滝に沿ってレンガ造り工場を拡張した。この会社はさらにスペースを必要とするようになり、1890年に町を説得してメインストリートを動かした[10]

今日のブランズウィックにはアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定された多くの歴史地区がある。例えば、ペネルビル歴史地区では、連邦様式、ギリシャ復古調、イタリア様式で建設された造船業者や船長の邸宅を保存している。ブランズウィックの主要雇用主は、アウトドア用品のL・L・ビーン、造船のバス鉄工所の他、ガラス繊維建材や電気スイッチを製造する会社がある。メイン州中部海岸地域を対象とする多くの医療機関がブランズウィックにある[11]


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