ブランコ郡_(テキサス州)
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テキサス州ブランコ郡
ジョンソンシティにあるブランコ郡庁舎、1916年建設のこの建物は1890年に郡庁所在地がジョンソンシティに移された後に、最初の恒久的郡庁舎として建てられた。
郡のテキサス州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1858年2月12日
郡名の由来ブランコ川
郡庁所在地ジョンソンシティ
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水
1,848 km2 (713 mi2)
1,842 km2 (711 mi2)
6 km2 (2 mi2), 0.30%
人口
 - (2010年)
 - 密度
10,497人
5人/km2 (12人/mi2)
標準時中部: UTC-6/-5
ウェブサイト ⇒www.co.blanco.tx.us

ブランコ郡(ブランコぐん、: Blanco County)は、アメリカ合衆国テキサス州の中央部、エドワーズ高原に位置するである。2010年国勢調査での人口は10,497人であり、2000年の8,418人から24.7%増加した[1]郡庁所在地はジョンソンシティ市(人口1,656人[2])であり[3]、同郡で人口最大の町はブランコ市(人口1,739人[4])である。ブランコ郡は1858年に、バーネット郡コマール郡ジルスピー郡ヘイズ郡の一部を合わせて設立され、郡名は郡内を横切るブランコ川に因んで名付けられた。郡庁所在地は1858年から1890年までブランコ市だったが、その後にジョンソンシティ市に移され、現在に至っている。
年譜

1150年、最初の
インディアン部族がブランコ郡となった地域に住んだ。リパン・アパッチ族の先祖と考えられている[5]

1721年、ホセ・デ・アズロール・イ・ビルト・デ・ベラが、ブランコ川を名付けた

1826年、ベンジャミン・ミラムが、コロラド川とグアダルーペ川の間に、300家族が入植できる土地の許可を得た

1836年、コマンチ族が地域全体の領有を主張した

1847年、ミューズバック・コマンチ条約が締結された[6]

1850年代、リンドン・B・ジョンソンの祖父にあたるサミュエル・イーリー・ジョンソン・シニアと弟のジェシー・トマス・ジョンソンが、ジョンソンシティで牧畜業を始めた。町の名は甥のジェイムズ・ポーク・ジョンソンに因んだものだった。ジョンソン家はアラバマ州から移住してきていた[7][8]

1854年-1855年、ジェイムズ・ヒューズ・キャラハン大尉とイーライ・クレメンス・ハインズが、郡内最初の白人開拓者になった。ジョセフ・バードがバードタウンを設立し、その後ラウンドマウンテンと改名した[9]。ジョン・D・ピッツ将軍、ウィリアム・S・ジョーンズ判事、アンドリュー・M・リンゼー、ジェイムズ・ヒューズ・キャラハン、F・W・チャンドラーが、ピッツバーグ土地会社を設立した。彼等は1835年にコアユイラ・イ・テハス州から認可されていた特許土地を購入した。後にブランコ市となる土地の川向かいに、ピッツ将軍に因んでピッツバーグと名付けた町を造った。[5]

1858年2月12日、バーネット郡コマール郡ジルスピー郡ヘイズ郡の一部を合わせてブランコ郡が設立され、郡名は郡内を横切るブランコ川に因んで名付けられた。郡庁所在地もブランコと名付けられた[5]

1860年、郡人口は1,218人であり、このうち奴隷が98人いた。開拓者は大半がイギリス系アメリカ人のプロテスタントであり、テネシー州やアラバマ州の出身だった。農業と牧畜業が経済の中心だった[5]

1861年、郡民投票でアメリカ合衆国からの脱退に反対を決めた[5]

1862年、テキサス州議会がブランコ郡南西部からケンドール郡を創設した。その後ヘイズ郡とバーネット郡の一部をブランコ郡に組み入れた[5]

1885年、郡庁舎を石灰岩造りのものに更新した。現在は「オールド郡庁舎」と呼ばれている[10]

1883年、ブランコ高校が設立された

1891年、ジョンソンシティが新しく郡庁所在地に指定された[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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