ブランコ・ラスティグ
Branko Lustig
2009年のラフティグ
生年月日 (1932-06-10) 1932年6月10日
没年月日 (2019-11-14) 2019年11月14日(87歳没)
出生地 ユーゴスラビア王国(現・クロアチア)・オシエク
死没地 クロアチア ザグレブ
国籍 クロアチア
職業映画プロデューサー
活動期間1955年 - [1]
主な作品
『シンドラーのリスト』
『グラディエーター』
『ハンニバル』
『ブラックホークダウン』
『アメリカン・ギャングスター』
受賞
アカデミー賞
作品賞
1993年『シンドラーのリスト』
2000年『グラディエーター』
英国アカデミー賞
作品賞
1993年『シンドラーのリスト』
2000年『グラディエーター』
その他の賞
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ブランコ・ラスティグ(Branko Lustig, 1932年6月10日 - 2019年11月14日)は、クロアチア出身の映画プロデューサー。 ユーゴスラビア王国(現・クロアチア)・オシエクでユダヤ人の家に生まれる。第二次世界大戦中、ナチスによってアウシュヴィッツ、次いでベルゲン・ベルゼン強制収容所に収容される。戦後、彼と母親は解放されたものの、父親や祖母など多くの親族が犠牲になった。また、解放時、彼の体重はわずか66ポンドしかなかったという[2][3]。 1955年、ザグレブの映画製作会社に就職し、映画製作の仕事を始める[1]。1988年に渡米[1]。 1993年、『シンドラーのリスト』を製作、第66回アカデミー作品賞を受賞するなど高い評価を受けた。自身も冒頭シーンにウェイター役で出演している。2000年、『グラディエーター』でも第73回アカデミー作品賞を受賞した。 2000年代は主にリドリー・スコット監督作品をプロデュースしている。 2019年11月14日、87歳で死去[4][5][6][7][8]。
来歴
主なフィルモグラフィー
戦争の嵐 The Winds of War (1983) テレビ映画
戦争と追憶
ドラッグ・ウォーズ/麻薬戦争 Drug Wars: The Camarena Story (1990) テレビ映画
ウェドロック Wedlock (1991)
イントルーダーズ/第四の遭遇 Intruders (1992) テレビ映画
シンドラーのリスト Schindler's List (1993)
ピースメーカー The Peacemaker (1997)
グラディエーター Gladiator (2000)
ハンニバル Hannibal (2001) 製作総指揮
ブラックホーク・ダウン Black Hawk Down (2001) 製作総指揮
キングダム・オブ・ヘブン Kingdom of Heaven (2005) 製作総指揮
プロヴァンスの贈りもの A Good Year (2006) 製作総指揮
アメリカン・ギャングスター American Gangster (2007) 製作総指揮
脚注^ a b c “ ⇒Hollywoodska ve?er za Branka Lustiga” (Croatian). Vjesnik