ブラディ・サンデー_(U2の曲)
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「ブラディ・サンデー」
U2シングル
初出アルバム『WAR(闘)
リリース1983年3月11日
規格7インチ・シングル
12インチ・シングル
ジャンルロック
レーベルアイランド
作詞・作曲U2
プロデューススティーヴ・リリーホワイト
チャート最高順位
USメインロックチャート7位
オランダ3位
U2 シングル 年表

トゥー・ハーツ・ビート・アズ・ワン
(1983年)
ブラディ・サンデー(1983年)プライド
(1984年)


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「ブラディ・サンデー」(Sunday Bloody Sunday)はU2のサードアルバム『WAR(闘)』のオープニングソングにして、3rdシングル(ヨーロッパと日本限定のリリースだった)。血の日曜日事件をテーマにした曲で、「New Year's Day」と並んでU2の代表曲となった。
解説

「WAR」のレコーディングを中断してボノとアリが結婚式を挙げジャマイカに新婚旅行へ行っている間、エッジが1人で書いた曲。恋人との痴話喧嘩とおのれの作曲能力のなさのせいでむしゃくしゃした気持ちを思いきり曲作りにぶつけた。2004年にボノがなくした鞄が見つかった際、その中にあったノートに既に「SBS」のアイデアが書き込まれていたということから[1]、以前から血の日曜日事件をテーマにした曲を書こうというアイデアはバンド内にあったようだ。

この頃、ボノはジョン・レノンにどっぷり嵌っていて、そのハンドブックをいつの胸ポケットに入れて持ち歩いていたそうで、恐らくジョンの同テーマ、同タイトルの曲に触発されたのだろう。ボノが考えたのは血の日曜日事件とカソリックとプロテスタント双方の一大行事であるイースター・サンデー(復活祭)という2つの日曜日を対比させることだった。2010年6月18日にニューヨーク・タイムズに寄せた記事で、ボノは次のように述べている。「(この曲は)小さなことについて歌って大きな理想について触れようとしたけどうまくいかなかった曲だ」「自分のような髪の毛をして怒りを持ったロック・ファンがいればサラエヴォだろうとテヘランだろうと、どこへ行ってもきっとこの歌は歌われるはずだ」「実際、どんな地域でも解決はすぐに見出すことはできるはずだ。このアイルランドの歴史の一コマからなにか学べる教訓があるとしたら……たとえば、バグダッドやカンダハルにとってなにかあるとしたら、それはこういうことになる。ものごととは悪い方向へとはたちまちにして変わっていくし、いい状況へと変わっていくにはとても時間がかかってしまうけれども、でも、しっかりいい方向へと変わっていくことはできるということだ」[2] ? ボノ

当初、エッジが書いた冒頭の歌詞は「IRAUDAの権利について話すのは止めてくれ」だったが、あまりに直接的すぎることからか、現在のものに改められた。

ラリーはリリーホワイトからクラックトラック(メトロノーム)を使うよう勧められていて、渋っていたのだが、尊敬するSly & the Family Stoneのドラマー・アンディ・ニューマークから、「クラックトラックなしでドラムを叩いたことがない」と教えられ、自分も使うことにした。「SBS」をひとつに求めているのはラリーのドラムといわれているが、「あれは郵便局のマーチングバンドにいた経験が生きた」とラリー自身も述べている。僕たちは政治的な人間ではないし、政治とも関係がない。君が北アイルランドについて話したように、SBSを聴くと、人々は「ああ、イギリス軍に十三人のカソリック教徒が銃殺されたあの事件だね」って言うんだけれど、この歌はその事件についてのものじゃないんだ。あれは小いわば北アイルランドで最も有名な小さな出来事で、それだけで「どれぐらい? どれくらい僕たちはこの問題に耐えなければならないのか?」と言うのは大袈裟だよ。カソリックだろうがプロテスタントだろうがなんだろうが、僕は誰が誰かなんてこと気にしない。日々、辛苦と憎悪に塗れて人々が死んでいるけれど、その事実にたいして僕たちは「なぜだ?そこにどんな意味があるんだ?」と問いかけているんだ。だからこの歌はエルサルバドルや他の似たような場所にも当てはまる――人々が日々死んでいるね。政治のことは忘れよう、お互いに撃ち合うのは止めて、話し合いの椅子につこう……「政治はクソだ」という物言いに加担するバンドはたくさんいる。が、それがどうだって言うんだい? 本当の戦いは人々が死んでいることだ。それこそが真の戦いなんだよ。[3] ? ラリー・ミューレンJr.

またエレクトリック・ヴァイオリンで、後にIn Tua NuaやThe Waterboysに参加するスティーブ・ウイッカムが参加している。バス停にいたエッジに「君たちのレコードにヴァイオリンは要らないか?」と尋ね、電話番号のメモを渡し、採用された。スタジオはエネルギーに満ちていた。集団的熱狂以上のものだ。バンドがライブ演奏するように準備されていて、僕はコントロールルームでそれに合わせて演奏した。SBSのテイクを録り終えた後、皆、幸せそうで、恐らく、バス停で声をかけてきた見知らぬ人間が実際に演奏できたものだから、ほっと胸を撫で下ろしているようだった。僕は雇われて、エッジが「Take My Hand(Drowning Manの原曲)」というもう一つの曲を演奏し、そのラフミックスが入ったテープを貰った僕は、次の週までに曲に入れるヴァイオリンの音を考えた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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