ブラティスラバ
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ブラチスラヴァ
Bratislava


市旗市章

位置

スロバキア内のブラチスラヴァの位置
位置
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}ブラチスラヴァブラチスラヴァ (スロバキア)スロバキアの地図を表示ブラチスラヴァブラチスラヴァ (中央ヨーロッパ)中央ヨーロッパの地図を表示ブラチスラヴァブラチスラヴァ (ヨーロッパ)ヨーロッパの地図を表示

座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯48度08分41秒 東経17度06分46秒 / 北緯48.14472度 東経17.11278度 / 48.14472; 17.11278
行政
スロバキア
 県 ブラチスラヴァ県
 市ブラチスラヴァ
市長イヴォ・ネスロヴナル(Ivo Nesrovnal)
地理
面積 
  市域367.584 km2
標高126 - 514 m
人口
人口(2013年現在)
  市域417,389人
    人口密度  1,135.4人/km2
その他
等時帯中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号8XX XX
市外局番421-2
ナンバープレートBA, BD, BE, BI, BL, BT
公式ウェブサイト : ⇒www.bratislava.sk

ブラチスラヴァ(スロバキア語: Bratislava, スロバキア語発音: [?bracislava] ( 音声ファイル))は、スロバキア首都で同国最大の都市である。旧称はドイツ語 : プレスブルク (Pressburg/Presburg)、マジャル(ハンガリー)語 : ポジョニ (Pozsony)、スロバキア語 : プレシュポロク (Pre?porok/Pre?porek)、チェコ語 : プレシュプルク (Pre?purk) で、チェコスロバキア第一共和国建国後の1919年に現名称に改称した。
概要1区旧市街区旧市街区

ブラチスラヴァ県(Bratislavsky kraj)の南西端に位置し、ドナウ川に面した都市。スロバキアの政治、文化、経済の中心都市であり、中央ヨーロッパ有数の世界都市コシツェとともに特別市に指定されている。ハンガリーおよびオーストリアの2か国の国境に接しており、主権国家の首都としては唯一、市域内に三国国境がある。ウィーンに最も近接した首都でもあり、両者の関係は古来密接である。

2008年末の人口は42万8791人。市内はブラチスラヴァ1区からブラチスラヴァ5区(Bratislava I - Bratislava V)までの5地区 (Okres) 17街区に分けられている。

市の歴史は有史以来、スロバキア人のほかケルト人ローマ人[要曖昧さ回避]、フン族アヴァールドイツ人ハンガリー人[要曖昧さ回避](マジャル人)、クマン人ブルガール人ユダヤ人などのさまざまな民族が関与した。

モラヴィア王国ハンガリー王国オーストリア=ハンガリー帝国チェコスロバキアにおいて経済的・政治的な重要都市とされ、ハンガリー王国首都(1536年 - 1783年)、スロバキア第一共和国首都(1939年 - 1945年)、チェコスロバキア社会主義共和国におけるスロバキア社会主義共和国首都(1969年 - 1990年)、チェコスロバキア連邦共和国におけるスロバキア共和国首都(1990年 - 1992年)となった。

1997年から国際連合開発計画(UNDP)欧州・CIS諸国局本部、2009年から国際連合人口基金 (UNFPA) 東欧・中央アジア地域事務所本部の各国際機関本部が置かれているほか、ヴィシェグラード4カ国による国際ヴィシェグラード基金 (Medzinarodny vy?ehradsky fond) 本部、万国郵便連合 (UPU) 欧州委員会が置かれている。

第二次世界大戦まではスロバキア語のほか、ドイツ語、ハンガリー語が一般的に用いられていた。旧市街を中心にブラチスラヴァ城スロバキア共和国国民議会、聖マルティン教会周辺に多数の旧跡がある。またドナウ川にかかる新橋(Novy most、旧称SNP橋)は、斜張橋の先駆けの一つで1972年に完成。2001年に世界タワー連盟に加盟している。
地理ブラチスラヴァ市付近のSPOT地球観測衛星写真(2003年)ジェヴィーンスカ・コビラ山(標高514m)

中央ヨーロッパ北緯48度9分、東経17度7分に位置する。オーストリア、ハンガリー国境に接し、チェコとも近い。市域はドナウ川とモラヴァ川の合流地点に近い小カルパチア山地の麓のドナウ平原に、ドナウ川の両岸に沿って広がっている。市域面積は367.58平方キロメートルで、スロバキア国内の市・町(mesto)ではヴィソケー・タトリ町(Vysoke Tatry)に次ぐ2番目の広さである。市北部の小カルパチア山地一帯を自然保護区(Chranene krajinne oblasti)として森林公園として整備しているほか、ドナウ川沿いの河畔林地帯なども公園として保護しており、自然面積は46.8平方キロメートルである。

市域の中心を貫くドナウ川は、西から南東方向に向けて流れており、市域の西にあるモラヴァ川との合流地点「ジェヴィーン水門」(Devinska brana)を経て市街中心部でドナウ平原に入り、大きく南に蛇行している。市の東部郊外では、ドナウ川本流から支流の小ドナウ川(Maly Dunaj、延長128キロメートル)が分流し、再びドナウ川に合流するコマールノまでの間に「ジトニー島」(ライ麦島、?itny ostrov)と呼ばれるヨーロッパ最大の大中州地帯(面積1,886平方キロメートル)を形成している。

市域の北西側、4分の1は山地で、標高439メートルのカムジーク山にはカムジークテレビ塔があって街のランドマークにもなっている。市域の最低地点はブラチスラヴァ5区チュノヴォ街区のドナウ川河畔(標高126メートル)、最高地点は4区ジェヴィーン街区とドゥーブラフカ街区にまたがるジェヴィーンスカ・コビラ山(Devinska Kobyla)山頂(標高514メートル)である。

北はマラツキ郡(Okres Malacky)のマリアンカ村(Marianka)、ボリンカ村(Borinka)、ストゥパヴァ市(Stupava)およびスヴェティー・ユル市(Svaty Jur)と、東はセネツ郡(Okres Senec)のモスト・プリ・ブラチスラヴェ村(Most pri Bratislave)、 ホルヴァートスキ・グロプ村(Chorvatsky Grob)およびイヴァンカ・プリ・ドゥナイ村(Ivanka pri Dunaji)と、南東はセネツ郡ロヴィンカ村(Rovinka)、ドゥナイスカー・ルジナー村(Dunajska Lu?na)、カリンコヴォ村(Kalinkovo)、ハムリアコヴォ村(Hamuliakovo)およびドゥナイスカー・ストレダ郡(Okres Dunajska Streda)のシャモリーン市(?amorin)と接している。

また国境を挟んでハンガリーのライカ村(Rajka)、オーストリアのドイチュ・ヤールンドルフ村(Deutsch Jahrndorf)、キッツエー村(Kittsee)、ベルク村(Berg)、ヴォルフシュタル村(Wolfsthal)、ハインブルク・アン・デル・ドナウ町(Hainburg an der Donau)とも接している。オーストリア・ウィーンとの距離は欧州の首都間距離としては最も近い約60キロメートルで、中央ヨーロッパの中心の「双子都市」となるとして注目されており、両都市を結ぶ高速道路網などの整備が進んでいる。オーストリア国境に接する市域南西部はかつて鉄条網による「鉄のカーテン」で遮断されていたが、シェンゲン協定に基づく2007年の出入国審査の撤廃以降、ブラチスラヴァ市内に比べ地価が安いオーストリア側近郊町村部のベッドタウン化が進みつつあり[1]、将来的には国境を越えた一体的な市街化が進むと見られている。


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