ブラッド・ペイズリー
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ブラッド・ダグラス・ペイズリー(Brad Douglas Paisley 1972年10月28日 - )はアメリカ合衆国カントリー・ミュージックシンガーソングライターである。彼の音楽スタイルは伝統的カントリーとサザン・ロックの融合であり、彼の曲はしばしばユーモアとポップ・カルチャーを交えて攻撃的なものもある。

2008年のCMAおよびACMの最優秀男性ボーカリスト賞を受賞した。1999年、アルバム『Who Needs Pictures』の発売から活動を開始し、7枚のアルバムとレコード会社アリスタ・ナッシュビルのクリスマスアルバムを録音し、RIAAよりゴールドまたは上位の認定を受けた。さらに、25枚のシングルがビルボードのカントリー音楽チャートにランクインし、うち15枚は1位となり、そのうち10枚は連続してトップとなった。2010年10月10日、第44回CMAアワードで最高の賞であるエンターテイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。
経歴
初期

1972年10月28日、ウェストバージニア州ホイーリングで、州の運輸省で働いていた父ダグラス・エドワード"ダグ"ペイズリーと教師の母サンドラ・ジェーン"サンディ"ペイズリーの間に生まれた。彼はウェストバージニア州グレン・デールで育った。母方の祖父ウォレン・ジャービスの影響でカントリー音楽を愛するようになり、祖父から8歳でシアーズシルバーストーンダンエレクトロのギターを買い与えられ演奏方法を教えられた。10歳の頃、教会で初めて人前で演奏した。彼はのちに「そのうち僕はクリスマスや母の日のイベントごとに演奏した。素敵な小さい町は、本当にアーティストになりたいと願うと温かく見守ってくれるんだ。」語った。12歳の頃、初めて『Born on Christmas Day』という曲を書いた。地元のギタリストであるクラレンス"ハンク"ゴダードのレッスンを受けるようになった。13歳の頃、ゴダードとペイズリーは2人の年上の友人と共に『ブラッド・ペイズリー・アンド・ザ・C-ノート』というバンドを結成した。

中学生の頃、校長先生に呼ばれ『Born On Christmas Day』を演奏してみせると、ロータリークラブの会議で演奏を依頼された。出席者にウェストバージニア州ホイーリングのラジオ局の番組ディレクターであるトム・ミラーがいた。ミラーはジャンボリーUSAへの出演を依頼した。最初の演奏の後、レギュラー出演を依頼された。次の8年間で彼はザ・ジャッズ、リッキー・スキャッグス、ジョージ・ジョーンズのようなカントリー歌手への道が開かれた。彼は最年少でジャンボリーUSAの殿堂入りをした。またジャンボリー・イン・ザ・ヒルでも演奏した。

1991年、ウェストバージニア州グレン・デールのジョン・マーシャル高校を卒業し、ウェスト・リバティ大学で2年間勉強し、1993年から1995年、米国作曲家作詞家出版者協会(ASCAP)の全額奨学金を得てテネシー州ナッシュビルベルモント大学に行った。ASCAPの見習いとしてアトランティック・レコードとフィッツジェラルド・ハートリー・マネージメントで働いた。大学生の頃、学友のつてでフランク・ロジャースに会った。また後に作曲パートナーとなるケリー・ラブレイスとも会った。そしてクリス・デュボアにも会い、楽曲提供した。

ベルモント大学を卒業し音楽事業の学士を取得した後、1週間以内にEMI音楽出版と作曲家として契約し、デイヴィッド・ボールの1999年のシングル『Watching My Baby Not Come Back』同様トップ5に入ったデイヴィッド・カーシュの『Another You』を書いた。『Watching My Baby Not Come Back』はボールとの共作である。
1999年?2001年: 『Who Needs Pictures』

1999年2月22日、シングル『Who Needs Pictures』でアリスタ・ナッシュビルよりデビューした。同年5月、グランド・オール・オープリーに初登場した。7ヶ月後、彼の共作者であるケリー・ラブレイスとその継子マケイン・メレンの話を脚色して作った『He Didn't Have to Be』が初のナンバー・ワンのヒット曲となった。デビュー・アルバムはビルボードのカントリー・チャートでナンバー・ワンとなった。2001年2月、このアルバムはプラチナCDに認定された。

2000年、ザ・ラーニング・チャンネル(TLC)のスペシャル番組『Route 66: Main Street America』に出演し、カントリー音楽ファン以外の前で演奏したところ彼の評判は上がった。プロデューサーのトッド・ベーカーはまだ世に出ていない若いミュージシャンをこの番組に出演させており、カントリー音楽界からも今回出演させることになった。ペイズリーとバンドは『ルート66』のアコースティック版という珍しいライブを行った。カンザス州リバートンのレインボーブリッジの上でのアコースティック・ライブはカットしないで収録された。ブルース・アーティストのバディ・ガイも特集していたこの番組で彼は伝説的ミュージシャンの仲間入りを果たした。

2000年終盤、ペイズリーはカントリーミュージック協会(CMA)の新人賞とアカデミー・オブ・カントリーミュージックの最優秀新人男性ボーカリスト賞を受けた。まだ1年後、グラミー賞最優秀新人賞にノミネートされた。2001年2月17日、グランド・オール・オープリーに招かれた。28歳だった彼は当時最年少だった。PBSの第75回記念コンサート・スペシャルでアルバム『Backstage at the Opry』からの曲と、チェリー・ライトとデュエットで『Hard to Be a Husband, Hard to Be a Wife』を歌った。このことがCMAのボーカル・イベント・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた。
2001年?2003年: 『Part II』

2002年、『I'm Gonna Miss Her (The Fishin' Song)』でCMAミュージック・ビデオ賞を獲得した。このビデオにはリトル・ジミー・ディケンズキンバリー・ウィリアムズ=ペイズリー、ダン・パトリック、ジェリー・スプリンガーなどの著名な人物が出演している。『Part II』からの他の3曲、『I Wish You'd Stay』、『Wrapped Around』、『Two People Fell in Love』全てトップ10入りした。このアルバムは70週以上チャート入りし、2002年8月、プラチナ認定された。このアルバムのコンサート・ツアーの前座はローンスターが務めた。
2003年?2005年: 『Mud on the Tires』

2003年、ペイズリーは『Who Needs Pictures』、『Part II』に続く第3弾アルバム『Mud on the Tires』を発表した。このアルバムは彼のヒット曲『Celebrity』を収録しており、この曲のビデオでは『Fear Factor』、『アメリカン・アイドル』、『The Bachelorette』、『According to Jim』などをパロディー化しており、ジェイソン・アレクサンダージェームズ・ベルーシリトル・ジミー・ディケンズ、トリスタ・レーン、ウィリアム・シャトナーなどの著名人が出演した。ペイズリーは後にシャトナーのアルバム『Has Been』に協力した。2004年、このアルバムのタイトル曲『Mud on the Tires』はビルボードでナンバー・ワンとなった。

さらにこのアルバムからの3枚めのシングルでアリソン・クラウスとのデュエット曲『Whiskey Lullaby』はビルボードのカントリーのシングル・チャートで3位、ビルボード総合チャートで41位となった。このミュージック・ビデオはいくつかの賞を受賞し、2008年のCMTの最優秀ミュージック・ビデオ・100に選ばれた。このアルバムはダブル・プラチナに認定された。
2005年?2007年: 『Time Well Wasted』

2005年、リーバ・マッキンタイアとテリー・クラークとのツアー『Two Hats and a Redhead Tour』の後、彼は15曲入りの『Time Well Wasted』を発売した。このアルバムは『Alcohol』、ドリー・パートンとのデュエット曲『When I Get Where I'm Going』、アラン・ジャクソンとのデュエット曲『Out in the Parking Lot』、ボーナス・トラック『Cornography』を収録している。2006年11月6日、『Time Well Wasted』はカントリーミュージック協会のCMAアワードの最優秀アルバム賞を受賞した。また、2006年のアカデミー・オブ・カントリーミュージックのACMアワードで年間アルバム賞を受賞した。

また、ペイズリーはディズニー映画の『カーズ』に2曲提供し、サウンドトラック『Cars』に収録されている。テレビのスペシャル番組『Route 66: Main Street America』での功績が認められての採用であった。

2006年のグラミー賞では、ペイズリーは最優秀カントリー・アルバム賞(『Time Well Wasted』)、最優秀カントリー・ソング賞(『Alcohol』)、最優秀カントリー・インストゥルメンタル賞(『Time Warp』)、最優秀カントリー男性ボーカル賞(『Alcohol』)の4部門にノミネートされた。
プライベート

2000年12月、この年の始めに同性の恋人と住み始めた音楽仲間のカントリー歌手チェリー・ライトと関係を持った[1][2][3]。ライトはペイズリーと前年曲を共作し、一緒にコンサート・ツアーに出ており、それ以来彼は彼女に夢中になっていた。彼女にとって他の男性同様彼にも性的魅力を感じていなかったが[4][5]、彼女は「彼は小悪魔的な所が魅力で、それが私が彼と時間を共有することを決めた理由の1つ。


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